2017年4月12日水曜日

わたしの新京都20景(4)

わたしの新京都20景(3)
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16/20 月

中国ほどではないにしても、日本においても陰暦はまだまだ消滅しそうにない。日程を太陽暦に移行した上に、さらに週末土日に再度移行させられた祭事も少なからずだが、今日が陰暦の何月何日かを知っていると、ふといにしえの京都に出会うことがある。見事な月は仲秋の専売ではない。旅行前の下調べのひと手間が、同行者のサプライズを誘う。

17/20 御所

御所は上京の中心にある。宮内庁管轄の御所と環境省管轄の京都御苑からなり、近年外務省管轄の京都迎賓館がここに割って入った。この迎賓館について、すくなくとも泉下の孝明帝はお喜びではあるまい。御所はその総称であって、京都市民にとってはまず公園であり、通勤通学路であり、ときに遠い皇室をしのぶところでもある。

18/20 仏

意外なことだが、CNNの20選の中には、たった1枚の仏像もなかった。悦楽空間としての京都には仏像は無用だ、ということなのだろうか。それとも単に無関心だったのか。もっとも名立たる仏像の画像を商用利用するとなると、結構な費用を請求される。おそらくCNNは節約をしたのだと思うが、しかし町内にはお地蔵さんがあり、また野に置かれた石仏も京都には無数にあって、これこそが住民庶民の信心の対象。そして写真可である。

19/20 雪

春夏秋冬の最高気温、最低気温を比べると、京都も大阪もそれほどちがいがない。ただ冬の午前の冷え具合はきびしい。盆地の底に三山から滑り落ちてきた冷気が溜り、最高気温の出現が午後遅くになるからだ。しかし雪は滅多に降らない。雪がほとんどない、風情のない、寒いだけの冬になることも近年多い。

20/20 四条

京都で繁華街というと、それは河原町のことであった。しかしバブル崩壊後、金融街の烏丸が整理されて、おしゃれな新規出店はそっちに増えた。しかししばらくすると河原町への出店のハードルは下がりはじめ、このごろではこちらに面白い店がチラホラだ。河原町と烏丸、そのシーソーゲームを東西で結ぶ四条の現状はどうなのか。わざわざ交通流入を制限する改造をやったことと、大丸、高島屋といったデパートが振るわないために、現在いささか貧血状態のようだ。

2017/04/11 若井 朝彦

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2017年4月11日火曜日

わたしの新京都20景(3)

わたしの新京都20景(2)
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11/20 世界遺産

CNNが選んだ20枚の写真のうち、ユネスコ登録世界文化遺産からは「金閣寺」「東寺」「清水寺」「醍醐寺」の4つが入選。その記事においても「ここはユネスコ登録済み」「もちろん世界遺産だ」と抜かりなく強調。だが京滋にある17もの世界文化遺産、ほんとうに大切にされているところといったらどこだろう。目先の利に迷って遺産の食いつぶし、といった事例も少なくないのだ。(この写真のみネガフィルムより)

12/20 神像

明治に神仏が分離されたとはいえ、「神も仏も」といった古来の習俗は衰えてはいない。しかし新しい神像仏像も造られて、氏子や檀家の信仰を集める。新しいものが造られることで、古いものにもしかるべき立ち位置が与えられる。

13/20 大学

京都の人口構成の中に一定の割合を占める大学生。マンモス化の過程で、学舎は郊外へ、他県へと拡散したが、近年は都心回帰が顕著。木造町家を借上げるなどし、サテライト教室にするといった例も見られる。北陸新幹線金沢開業以来、京都の大学も危機感が増し、工夫や趣向、また生涯学習の取込みに躍起だ。

14/20 発掘

原初の平安京とはいったいどんなものだったのか。18世紀に藤貞幹(1732-97)と裏松固禅(1736-1804)の名コンビが模索をはじめて以来、今日にいたるまで考古的探究には途切れがない。無用に見えても実に大事な学問ではあるが、資金、人材が今後も十分に供給されるかどうかは心許ない。たいていの場合、発掘現場は工事現場。現状は保存されず資料のみが残る。その多量の資料をAIが読込んで、劃期的な解析結果を京都人に突きつける日が、やがてやってくるかもしれない。

15/20 鳥獣

京都は公園の少ない都市である。たが社寺が緑地を有しており、これでなんとかバランスが保たれている。鳥たちが頼りにしているのは、その飛び飛びにある樹冠や池。しかし150万に近い人口を擁しながら、これほどまでに山に囲まれ、また山に近い都市が他にあるだろうか。ときに珍しい獣が街中に現れるのはそのためだ。

2017/04/10 若井 朝彦

わたしの新京都20景(4)
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2017年4月10日月曜日

わたしの新京都20景(2)

わたしの新京都20景(1)
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6/20 八寸

わたしはフードポルノは好まない。しかし京料理の八寸だけはその自制をみずから破る。かならず季節のものを用い、小さい器に巧みに盛り込み、しかし余白はかならず残しておく。あたかも食材と食器による俳句。栄養学ともガストロノミーともまた違う何か。

7/20 家

数寄屋造りの町家、商家の町家といろいろあるが、ほっとするのは、こじんまりした職人町の木造、また郊外の木造。路地やら家の前で野菜の無人販売をしている所はまだまだ多い。

8/20 小路

あるときのこと、タクシードライバーが問わず語りに話しはじめた。「京都にやって来て思ったことは、細い道にもいつも人が歩いている。夜でも多い。だから京都には犯罪が少ない」のだと。だからそうなのかはわたしにもよくわからない。だが、他の都市に比べてということでなら、職と住も、食と住も、街中で接近していることはたしかだ。

9/20 近代現代建築

社寺仏閣古建築の多い京都ではあるが、新しくて珍しいもの、近未来的なものもまた少なからず。この重層性が京都の肝かもしれない。肯定的にいえば懐が深い。しかしおそらく本当の所は、自分にとってよく判らないものは、あえて関知干渉せず。

10/20 鉾町

京都の中心部、祇園祭の鉾町も、あるときまではドーナツ化が止まらなかった。だが最近は高層住宅が増え、人口の減少は底を打ったようだ。新しい住民が祭に加わる例も多い。観光化にも歯止めがかかり、催事から歳事へ。歳事から祭事へという流れが見える。

2017/04/09 若井 朝彦

わたしの新京都20景(3)
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2017年4月8日土曜日

わたしの新京都20景(1)

先日、4月3日のこと、アゴラに安田佐和子さんのブログ

MY BIG APPLE – NEW YORK –

から
『京都は、評判に違わぬ美しい街なのか?CNNが検証』

が転載されていた。楽しく拝見いたしました。そこで安田さんが紹介していたCNNのWEBは、

Does Kyoto's beauty match the buzz? Look and decide
 http://edition.cnn.com/2016/10/26/travel/kyoto-beautiful-scenes/index.html

だったのだが、そのページに掲載されていた20枚の写真とその写真へのコメントに、しばらく見入ってしまった。そして思ったのは、

「わたしだったらどんな20枚になるだろう」

コンデジを使いはじめて10年とすこし。この間、旅行らしい旅行はせずに過ごしたので、手持ちの画像といえばほとんどが京都。この数日、古いフォルダを順に開いて、そこからためしに20枚を選んでみた。京都症候群のCNN記者のセンスも意識しつつコメントを附し、何回かに分けて紹介してみたい。洋の東西どちらも、まったく物騒な時節ではあるが、無用の用、こんな軽い話題もまた何かの足しになるかもしれません。

1/20 盆地と三山

京都は北山東山西山に囲まれた盆地。東山からの日の出、西山への日の入り、時として美しい光景に出会える。ただそれは、ある程度の高さがあって見晴らし良好のビルから。しかし困ったことに、そんなビルはたいていの場合、周囲の景観を阻害している。

2/20 京都駅ビル

CNNの選んだ20枚のうち、5枚が京都駅附近から入選。『京都タワー』からが2、『東寺五重の塔』『京都駅ビル』『鉄道博物館』が各1。海外からの旅行者にとって、新幹線や関空特急からも見える五重の塔、京都駅と京都タワーが、期待の大事な入り口なのかもしれない。駅ビルそのものはバタ臭いが、周囲にはそれを緩和するゾーン、また近現代ビル群とは異質なゾーンもまた多い。

3/20 嵐電とバス

京都で移動といえばバス。それに愉しい乗り物と言えば嵐電で、若干だが併用軌道(市電区間)も残っている。近年、観光客でバスが混みすぎていて、京都市は料金体系をいじって地下鉄に誘導できないものかと模索中があるが、バスから見える景色がすでに観光なのだから仕方がない。

4/20 高野川のさくら

京都市街中心部は高度老齢都市。あまり外に出られなくなってしまった老人もさくらは別。やはり心が弾むようだ。車いすを押してもらって、近くの公園まで散歩する人を多くみかけるのがまさにいまこのごろ。ためしにタクシーのドライバーに訊ねてみるとよい。足の弱い老人でも、車からさくらを眺められるところはどこかと。かなりの確度でこの堤の道を走るだろう。

5/20 京に田舎あり

最近は京野菜ということで首都圏に販路を広げているが、もともとは地産地消のためのもの。正月のカシラ芋も、ずいぶんと高くなった。京都駅から徒歩圏内にレンコン田があったが、最後に見たのは数年前のことだ。建築ラッシュがすすむ今も、まだ残っているだろうか。

2017/04/08 若井 朝彦

わたしの新京都20景(2)
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2017年3月22日水曜日

勅語詔書と機会主義と拝跪と

安岡章太郎(1920-2013)の話を北杜夫(1927-2011)が拾って随筆にしていたものの中にあったと記憶しているのだが、安岡は小学校での教育勅語奉読の際、

「夫婦相和シ」

というところに来ると、これがいつも

「夫婦はイワシ」

に聞えて、下を向いて笑いを堪えるのに大変だった、ということである。

聞いただけではまったくわからない謹厳な(難渋な)文言を荘重に読むと、かえって滑稽になる一例だとは思うが、読む方は読む方で大変だったらしい。大人にしても勅語詔書に出てくるような漢語(勅語詔書の骨格は日本語と謂わんよりは「漢語」である)は普段滅多なことでは使わない。読み間違えを口実に、校長が責任を取らされる例も少なくなかったということだ。四文字熟語でいうところの「繁文縟礼ノ極ミ」である。これは困ったことに、現代にもまだまだ生き残っているが。

さてその内容はというと、
・・・父母ニ孝ニ 兄弟ニ友ニ 夫婦相和シ 朋友相信シ 恭儉己レヲ持シ 博愛衆ニ及ホシ 學ヲ修メ 業ヲ習ヒ 以テ智能ヲ啓發シ 德器ヲ成就シ 進テ公益ヲ廣メ 世務ヲ開キ 常ニ國憲ヲ重シ 國法ニ遵ヒ 一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ・・・
(『wikipedia』より・節を区切ってアキを入れた)
といった具合である。現代から見ても、この部分は特段、変わったことを言っているのではない。一家の主の権力が強大で、跡取りの長男には学校学問は要らんという家が多勢で、対等な男女の恋愛があったとしても極めて稀だった当時にしてみれば、この勅語は、当時の商家家訓などよりはるかに進歩的で、民法・憲法と比べても開明的なものであり、見方によっては欧米風だったと言えなくもない。

現在、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」が軍国主義と関係づけられて忌まれることが多いが、それは発布当時(明治23年=1890)の平民にしたところで同じだったであろう。合法的に徴兵を逃れるものも少なくなかったのである。しかしいずれにしてもこの内容は、当時の憲法以下のものではないとわたしには思われる。

ところで勅語詔書のたぐいは、読むのも大変なら、印刷も並大抵ではなかった。

以下は長谷川鑛平(1908-1995)の『本と校正』(中央公論社・1965)の中にあるエピソードなのだが、長谷川は1940年当時、みずからが編集校正していた『日本少年新聞』に「(日独伊三国同盟締結に際して渙発された)詔書」を掲載したところ、警視庁に呼びつけられたということである。具体的には
・・・政府ニ命ジテ帝國ト其ノ意圖ヲ同ジクスル獨伊兩国トノ提擕協力ヲ議セシメ茲ニ三國間ニ於ケル條約ノ成立ヲ見ルハ朕ノ深ク懌ブ所ナリ
という個所にある「提擕」を「提携」で済ませていたことが問題なのであった。この新聞を印刷しているのが小菅の刑務所内の工場であるため、長谷川は大きな印刷工場にあるような活字はないだろうと判断して、そのまま活字を差し替えることなく(安直に)校了していたのである。

警視庁ではこのことで官吏に怒鳴りつけられる。
「はあ、しかし、字の形が少しちがうばかりで、意味も文字の由来も全く同じ字なんですが・・・」
「馬鹿! お前、それでも日本人か!」
抗弁して一層ひどい目に遭ったようである。

あとで長谷川は同僚から小馬鹿にされるようにして諭される。「新聞社ではとくに詔書係りがいて、一字一句ゆるがせにしない、もし少しでもミスをすれば進退伺いもの」なのだ、そんなことも知らなかったのかと。

天皇に関わることとなると、空気を読まねばならず、忖度せねばならず、事大主義にまきこまれて大変だったのである。命令とは言えない命令で充満していたわけだ。しかし一方に強い権威権力があり、それへの順応次第では出世が可能な社会は、機会主義者を大量に生む。役人が国民に、忖度どころか拝跪を強要するようになる。難解な勅語詔書なども、そのための絶好の素材となっていたのであろう。耳で聞いて、すぐにわかるような文章だったら、こんなことにはならない。ありがたみがないのである。そういった意味で教育勅語には、内容よりむしろ文体に問題があったとわたしは思う。

第一次安倍内閣が2006年に設置した教育再生会議の委員からは、参議院議員、知事、政令市市長などを輩出した。籠池氏は、自身の学校法人に復古主義を採用し、こういったあたりに連なることを夢見ていたのであろうか。たしかに熱心な勤勉な機会主義者であったようではある。とはいえ教育勅語をきちんと扱えるだけの人物ではなかった。その結末は、たいていの機会主義者がそうであるように笑劇で終わりそうであるが、なんとハタ迷惑な。

ところではなしは「夫婦相和シ」にちなんであらぬ方向に飛ぶけれども、首相も自民党もこの際、夫婦別姓の利点について再検討してみてはどうだろう。

2017/03/20 若井 朝彦
勅語詔書と機会主義と拝跪と

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2017年3月17日金曜日

西陣きものショー 2017

京都は梅の盛り。沈丁花も開きはじめて、ストーブもだんだん要らなくなってきたが、毎年のことながら、この今頃が確定申告のシーズンである。

地元の税務署は一条戻橋(イチジョウ・モドリバシ)の近くにある。税務署にしてはなんて気の利いた地名の上にあるのだろう、とはいつも思うのだが、ここの庁舎はちょっと狭い。という事で、おおむねそこから歩いて5分ほどの西陣織会館の6階が確定申告の受付会場になる。

ちなみにだが、西陣織会館は、陰陽道ゆかりの晴明神社(現在は本来的な陰陽道との関係は残念ながら希薄)と、蹴鞠の白峯神社(現在はサッカー関係者のお参りが多)の間の位置である。

そろそろ電子納税にしようか、せめて郵送でいいだろう、とは思うものの、28年度分からマイナンバーが必須になっていて、今年も持参して確認してもらうことにした。

ところで西陣織会館というと、なんといっても「きものショー」である。だいたい1時間おきに、数名のモデルの方が京の和装を披露する。ときどきマスコミの話題になるが、近年、外国からの観光客が一気に増えた。

せっかく来たのだから、最近の西陣はどうなんだろうと、時間が合う限りは立ち寄ってゆくことにしている。というのも、西陣織工業組合が、展示や販売と一体に運営しているので、鑑賞フリーなのである。

(2017年)

前回見たのが、昨年なのか、それとも一昨年なのかは覚えていないのだが、今年になって大きな変更点が三つあった。

会場が1階入ってすぐの吹き抜けから、3階のホールに移動。

こちらはちゃんとした舞台もあって、照明も増えた。以前はデパートの仮設の催し物にも似た感じもあったが、よりショーらしく。これがまず一つ目。

二つ目は、いままで女物だけだった着物に、1点だけだが男物が加えられていたこと。これも会場を移した際の変更だろう、「男物なしだったこれまでの方が不自然だったわなぁ」と今にして思う。だが男物の見せ方がサマになるのはマダマダだ。これはモデルさんの非ではなく、着物を準備する方に問題がある。1着しかないらしい着物の着丈が、愛之助丈似のモデルさんに合ってないのである。

三つ目はお客さんである。これにはかなり驚いた。

(2017年)

今年わたしが見た回は、ほとんどヨーロッパまたは北米から来たと思われる旅行者。ブラウン、ブロンド、プラチナブロンド(白髪?)それに赤毛の女性を中央のイスに座らせて、ぐるりをそのパートナーである男性が取囲んでいる。歴史的慣習? とはいえ、その守りが堅いあたり見上げたものである。

2014年の写真も手許にあるのでここ載せるが、今年のものを比べてまったく瞭然の違い。その年の、わたしが見た日、見た回のきものショーは、ほとんどが中国系の旅行者だった。

(2014年)

これは京都にいての感覚だが(また観光庁の統計も同傾向であるらしいが)、台湾からの旅行者はほぼ一定。韓国からは経済状況や為替や外交案件などで変動が大きいようだ。中国本土からは、現在あきらかな減少傾向である。

このあまりの変化に、会館の方にも訊ねてみた。「ずいぶん様替りしたようですが・・・」

「そうですねえ。でも1時間前の回は中国からの人もかなりおられましたよ」

とのこと。一度限りの見聞で何もかも判断することはできないが、数年前、中国からの旅行者によって発見されたといってもよいこの「きものショー」は、、現在の中国人にとっては、珍重すべきものではなくなったのだろうか。

たしかに現在も中国本土からの旅行者は京都にも多い。だが傾向は以前とはまったくちがっている。世界遺産巡りが主という層、買い物が主という層、また(きものショーのように)無料スポットを順々に楽しむといった層は減っているように思う。

バスの中で、中国からのグループ内の相談内容(どんな地図を見ているかなど)や、乗車、降車動向を見ていると(失礼)、日本に来る前に、あらかじめ自分たちだけの目的を決めている、といった層が増えているように感じる。かなり凝った観光をしているのである。いま中国から日本に来る旅行者は、総数は減っても、日本ファンの度合いが上がっているのではあるまいか。願わしいことである。

以前、2015年にもここアゴラに
「官製観光」考
 http://agora-web.jp/archives/1650277.html
を書かせてもらっているが、そこでも触れたように、とくに近年の観光動向は読みにくい。

新聞が「爆買」のキーワードで記事をさかんに書いていたころ、そのグラフはすでにピークを過ぎていたわけだし、昨年は昨年で、花見シーズンの来日旅行者の乱行を多くのマスコミが取り上げていたが、今年はどうであろう。記事に困って惰性の報道には流れないことをと願う。

SNSでもって、どんどんと新しい京都観光が開拓されている昨今、役所主導で旅行者観光者を特定の方面に誘導することなど、とてもできないことだ。情報の後追いがせいぜいのところなのだが、これは困ったことばかりではない。むしろ成長産業である印であるのかもしれない。これも以前に書いていたことの繰り返しになるが、観光庁をはじめ官庁自治体は、旅行者観光者が、新しい日本を発見すること、新しい楽しみ方を工夫することを妨げるべきではないように思う。

しかし京都では、現在でも京都市がホテルの誘致に熱心であり、商工会議所の跡地もホテルになるし、(民泊と旅館の中間形態といった)木造ゲストハウスの新築も恐ろしい勢いで増殖しているが、これなども今後つつがなくやってゆけるのだろうか。(2022年、大阪の新今宮に来るという、かの「星野リゾート」なんかも、そのころはどうなんだろう。)

2017/03/16 若井 朝彦
西陣きものショー 2017

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2017年2月25日土曜日

ソムリエ協会と日本酒のいま

日本ソムリエ協会(J.S.A.)の年度は1月からはじまる。そしてこの2月初旬から各地で2017年度第1回の例会が順次開催されているのだが、本年度通年のテーマは、ワインではなくて「日本酒」。

わたしも早速2月8日に行われた京滋支部の例会(セミナーおよびテイスティング)に出席してきた。講師は、昨年度に就任した田崎真也会長が自らが。セミナーのタイトルは

『ソムリエのサービスと日本酒のテイスティング』

である。


(ある日本酒セミナー会場の光景)

各支部とも第1回の例会は同じタイトルで、講師もすべて会長がつとめて全国31個所をまわる。すごい熱の入れようだ。

ソムリエは、飲料である限りはノンアルコール系の飲み物ももちろん守備範囲にしているし、ミネラルウォーターだってセレクトする。そして食後のスピリッツやシガーも扱う。またワインのテイスティングの応用で、コーヒーや紅茶のブレンドすら試みることもある。だからさらに日本酒を勉強したところで、特に怪しむにはあたらない。世界ソムリエ大会が日本で開催されれば、招待者一同を伏見に案内して酒蔵を見学させていたこともあったほどだが、本来はワインが専門の集団が、挙げてかつ一年を通して日本酒に特化するのはなぜなのか。

例会に出てみて、その答えを二つ確かめたのだが、その一つはすでに田崎会長も本にも書いているので、まずそこから引用しておこう。

日本酒のテイスティングを国際化するべき理由

ワインのテイスティング用語に関して見てみると、・・・使用されている用語は、意味づけ、理論づけがされており、言語のように他人との間で伝達し合えることが基本となっています。そして、それらは、国際的なものでもあり、・・・すべての国の人たちと感覚を共有することができるのです。
・・・
日本酒の輸出が増え、世界中で興味を持つ人が増えてゆく中において、日本酒のテイスティング用語も国際的なレベルへと言語化してゆかなければならないでしょう。

田崎真也『新しい日本酒の味わい方』(SBクリエイティブ・2016)17p

そして今年度からソムリエ協会が

《 J.S.A. SAKE DIPLOMA 》

という認定試験をはじめるから、というのがもう一つの答え。上記の「ディプロマ」とそのマークの商標登録が、新年になってやっと完了して、テキストも数日後に発送がはじまるということだった。協会の運営としては、二番目の理由の方が主なものかもしれない。

わたしは10年ほど前からよく、半ば冗談ではあるが

「日本開闢以来、お酒がこれほどおいしくて、しかもこんなに容易安価で手に入ることは、まったくなかったことなのだ!」

と言うことがある。日本酒の品質は、年々向上しているだけでなく、ネットを通じて情報の垣根もほとんどなくなり、発注もまた同様に簡単で、珍しいものもすぐに手に入るようになったからなのだが、これはわたしだけの主張ではなくて、知人や、またネット上でも、ほとんど同じ表現によく出交わす。お酒好き(この稿ではつまり「日本酒好き」)は一様にそう考えているといってよいだろう。

だからといって日本酒の製造量や消費量が劇的に増えているというわけでもない。国内に限っていえば、むしろ先細りの懸念の方が大である。その危機感がむしろ品質の向上を強く促していることもあって、逆に世界からの注目の度合いが増しているのが今なのだ。

やがてこの傾向が地球を一周して、日本人全体がもう一度日本酒に目覚めるのももうすぐなのではないだろうか。ブレイクの環境は整っているし、すでにその臨界は越えていると思う。何か小さなきっかけが、導火線になるかもしれない。

こういったことからすれば、ソムリエ協会のこの舵取りというものはまったく妥当なことだといえる。ワインの情報の獲得に専念していた80年代、インポートの後押しに苦心していた90年代を思い起こせば、いまや全く別次元の活動ではあるのだが、これはまったくうれしい変貌だ。海外でも国内でも日本酒の消費が増えれば、蔵元、醸造関係者の経営がより安定するばかりではなく、酒造好適米の作付面積もふえるだろうし(現状でも山田錦は不足傾向である)、耕地国土の保全にすら役立つのである。

ところで最後にやや専門的に。

今回のセミナーやディプロマの教本テキストなどでは、日本が以前から使っていた酒の見極めの用語を、ワインの鑑定用語に置き換えるという方針が示されている。

たとえば色調では、(おおむね)薄い方から順番に

クリスタル → イエロー → 山吹色 → 黄金色 → トパーズ色 → 琥珀色
→ 紅茶色 → コーヒー色 → 濃口醤油色

といった具合なのだが、従来からの、日本酒固有の

スミ サエ テリ

といった語は退けられている。ワイン標準、国際標準からすれば、当然のことではあろうが、しかしこういった語も、副次的な表現として残しておく余地はないだろうか。

すでにWASHOKU(和食)、KAISEKI(懐石)、DASHI(出汁)、UMAMI(旨味)という語が、ほとんどそのまま世界的に認知されているように、日本酒の持つSUMI(澄)やSAYE(冴)が「刺身」や「寿司」という言葉、そして味覚とも響き合ったり、TERI(照)が「テンプラ」などと調和を見せることからすれば、無理に避けることもないと考える。これはむしろ海外のソムリエや愛好家によって、自然に選択してもらえばいいことではないだろうか。

また海外での消費が増えるにしたがって、海外向きに仕上げされた日本酒も次第に増えるのではないかと思う。ファンが増えて、海外からの強い要望が寄せられるようになればシメたものだ。そういった過程で、日本においても、新しい日本酒の味覚と出会うことができるだろうし、いずれにしても日本酒が世界と触れ合って、獲るものはあっても失うものはほとんどない。

この各支部の例会(セミナー)はまだ3月も続く。残席があれば一般の方も参加が可能。醸造関係者でなくても、協会員でもなくても、ソムリエでなくても問題はない。おそらく必要なのは、お酒への好意と好奇心と会費でしょうか。日本酒のブラインドテイスティングの機会はまだまだ少ないので、ご興味の方にはぜひご参加をとお奨めいたします。

ところで上記の通り、まだ未開催の会場があって、そこでは銘柄酒質を伏せたままテイスティングをするため、詳しい内容はもちろんここには書けなかったが、京滋支部では、「玉栄」「祝」を使用したお酒も選ばれていた。なるほどの演出だった。各支部でもそれぞれきっと特色のあるお酒が準備されることになるだろう。

2017/02/23 若井 朝彦
ソムリエ協会と日本酒のいま

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