2017年1月20日金曜日

『おんな城主 直虎』と狂言と鼓と国衆と

今年のNHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』がはじまった。

この大河の主役は井伊直虎。実在していたことは確かだろうが、史的資料のほとんどないこの直虎をどう描くかは、製作陣もとってもむずかしいところだったにちがいない。普通だったら、大河の主人公に据えるのには躊躇したはずだ。それに加えて、昨年の『真田丸』とストーリーのかなりがかぶる。

だが1月15日の第2回の放送までを見たところ、その不安はなくなったといってよい。ドラマとして面白いのである。このドラマが、史実とどのくらい乖離しているのか、決定的なことは誰にもわからないだろうが、浜名湖の奥、井伊谷(イイノヤ)の一族は、いったいこれからどうなっていくのであろうか。そんなワクワクを脚本と俳優がしっかと支えている。

俳優、脚本ともスターシステムではなく、アンサンブルのドラマである。脚本家は複数の演出担当とも、もちろん突っ込んだ摺合せをしたと思われるが、芝居のさせ方が、役によっても、また場面によってもさまざまなのである。これも工夫の一つなのだろう。

たとえば前田吟。この人が出てくるところは、いささか石井ふく子+橋田壽賀子風の味付けが顔を出す。平たく言うとNHK大河が、瞬間TBS東芝日曜劇場化するのであるが、同じ前田吟でかつ同じNHKでも、『マッサン』(2014-2015)の出演では(相手役が泉ピン子であってさえ)そこまでの演技はしていなかったから、これも演出側の意向なのだろう。井伊一族の、複雑な大人の事情をそうやって見せている。

ところが子役三人が表に出ると、一転して芝居が様式化する。様式化するといっても平板な芝居になるのではない。その逆である。第2回「崖っぷちの姫」よりセリフだけを拾うとこんな具合だ。
(井伊直盛)おとわ!

(とわ)父上!

(今川家臣)おとわ? おとわとは何者じゃ?

(井伊直盛)我がひとり娘にござる。

(井伊家臣)まことにござる。こちらは井伊の姫にて・・・

(今川家臣)ほ! では井伊の姫がなにゆえ、朝はやくあのようなところにおられたのじゃ?

(とわ)それは・・・・・・! 竜宮小僧を探しておったのです!

(今川家臣)竜宮小僧?

(とわ)井伊の里に住む、伝説の小僧です。ここのところ、ずぅっと探しておったのですが、全く出会えず、ひょっとして、朝はやくならとくり出した次第でございまする。嘘だとお思いなら、里の者に訊いてみて下され。
この場面で(後の直虎である)おとわが大人に物申す時、ふと腰を落としつつ語るといったしぐさは、ほとんど狂言に通じている。こういった所作は物語の展開に風格をもたらすし、また狂言にあるような空言がかすかなおかしみをも添えていて、筋にも奥行きをあたえる。いずれは女大将になるだけの芝居をすでに子役にさせているわけだ。

こういう読み方をしはじめると、春風亭昇太演ずる白塗りの今川義元の無言は、能の能面であるようにも見え、持道具として扱われる笛や鼓もまた能狂言の中世の隠喩であるのかもしれない。

深読みかもしれないが、脚本と演出には、江戸ではなく、安土桃山でもなく、武家中世の成分が満ちている。

戦国末期に至る前段として、国衆が時に大きい勢力に蹂躙されながらどう生き抜いていったのかというテーマは、すでに『軍師 官兵衛』(2014)の小寺家(黒田家)にも、また『真田丸』(2016)の真田家の複雑さにも現れてはいた。しかしそうはいっても、両者とも最終的には天下人に合流してゆくという筋立てである。だが今年の『直虎』では、(直虎存命中を描く限りは)おそらく近年の中世武家の研究も採り入れて、半独立の農村共同体である国衆の臨機の決断といったものに、次々と焦点を当ててゆくことになるのではなかろうか。

たしかに扱う対象が小さいと、「大河」という看板にそぐわないものになるかもしれないが、国衆をテーマにした大河というものはたしかに現代と合っているといえる。たとえば、ある大名の突発的な行動によって困難に陥った藩の一部が、その後も強固に団結して超法規的な行為に及ぶといった事件(赤穂浪士のことです)などは、一義的な団結力のすばらしさを描くとしても、また政府への反抗といった面を強調するとしても、現在ではもはや大きな注目を集めることはむずかしい。

ドラマとしての『直虎』が、これからどのように展開するかは判らない。脚本家を含めて、評判を確かめながら柔軟に対応することになるのだろう。しかしこの『直虎』のように、国衆が勝敗の中で浮沈し、国衆の内部でもユニットを組み替えながら、多くの場合は妥協し、若い人材を育てつつ時流を掴もうする物語の方が、以前のグランドスタイルの大河より、現在の若い世代の支持を得るのではあるまいか。

毎年のことながら、ドラマの出来を計る指標として、視聴率についても話題になるはずである。だがそれとともに、このドラマがどう受容されるのかということから、逆に現代が見えてくるかもしれない。

2017/01/17 若井 朝彦
『おんな城主 直虎』と狂言と鼓と国衆と

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2017年1月12日木曜日

元号存続についての折衷案

今上天皇ご譲位に関係して、新元号が新聞を賑わしはじめた。大手マスコミは、「ネットメディアではこうは行くまい」とばかりに政府系の情報を流しはじめている。これから数年、抜きつ抜かれつのスクープ合戦になることかと思う。

その報道の内容よると、新元号はその半年前に政府決定ということだ。しかしながら、わたしの周囲でもすでに2019年(平成で数えると31年)あたりの計画であったり受発注が、とっくに動き始めているわけで、こうなると、現在のところ元号表記でぎりぎり踏みとどまっている会社・法人も、次第に西暦の単独表記に切り替えてゆくことになるはずだ。

新聞報道が本当になるかどうかはわからないが、「半年前に決まる」というよりも、「半年前にしか決まらないのか」というのが実感だ。自民党が望むと望まざるとに関わらず、元号が実用から遠ざかってゆくことは避けがたい。

ところで、いささか古い論述だが、加藤周一は1970年代の半ば、こんなことを書いていた。
日本の人民が、国の主権者として、旧中国の習慣をまもり、帝政とむすびつけて年を算えるのは、時代錯誤ではないだろうか。―――しかしそのことと全く離れてみても、元号を廃した方がよいと思われる理由は他にもある。

元号の廃止に反対する議論には、元号が特定の時代の雰囲気を伝える、というものがある。「明治の男」、「化政の江戸」、「元禄の文化」など。それは「身の丈六尺」という言い回しの味が失われるから、尺貫法の廃止に反対し、「草木も眠るウシミツ時」に愛着があるから、国鉄・日航の時間表も、何時何分ではなく「明け六つの特急」とした方がよいというようなものである。しかしそういう反論をする人々の何人が、たとえば美術史家のしばしば用いる「弘仁仏」「貞観仏」という表現と、「九世紀の前半および後半の仏像」という表現の、どちらを容易に理解するだろうか。西暦に慣れれば「世紀末」とか「六〇年代の学生運動」という言葉にも、時代の雰囲気を感じること、元号の場合と変わらない。

メートル法採用は、多数決の結果ではなくて、多数の利益に奉仕するものであった。西暦の採用もまた、多数決の結果ではなくて、日本国の人民の多数の利益に役立つものであり得るだろう。なぜ年を算えるのに、キリスト誕生からはじめなければならないか。そうでなければならぬ理由は全くない。ただ皆同じところから算えて、各年に通し番号をつけるのが、大変便利だというだけの話なのである。

『言葉と人間』(朝日新聞社・1977年)所収
「廃元号論または『私と天皇』の事」から抜書き
加藤の論点は3つ。

(1)元号の存在が人民主権から逸脱していること。
(2)元号の文化的歴史的印象が西暦でも代替できること。
(3)西暦の方が便利であること。

(1)に関しては、このすぐ後に制定された元号法が効力をもっており、現在さしあたって議論にはならない。(3)に関してはその通り。西暦が便利であるというよりも、元号の不便が明らかになってきている。

(2)の論述は、しばしば言葉で見得を切る癖のあった加藤にしてもかなり乱雑で、尺貫法への無理解はここでは措くとしても、やはり時代に名が与えられていることには価値がある。数的表現では味わいがない。わたしはそう考えるところだ。

元号の価値とその通用が、日本に限られるものであるとしても、それはそれで面白いだろうし、それゆえに面白さが増すということもあろう。すでに結着のついている実用での優劣で粘るよりも、文化的象徴の陣地までサッと引く方が賢明ではあるまいか。

昭和は長く続いた。そのため、昭和を戦前と戦後に区分するだけでも足らず、「高度成長期」「万博前後」といった補助表現も数え切れない。そういった意味で、元号の文化的歴史的印象は、一世一元となったところでかなり損なわれてしまっていたともいえる。加藤の論が出てくる素地はあったわけだ。このままでも、元号がなくなることはないだろうが、残るといってもそれはやはり儀礼的な限られた範囲に縮小してゆくにちがいない。

もし今後も元号を残そうとするのであるとすれば、むしろ改元を柔軟にすべきではないだろうか。そしてそれが望ましいとわたしは考える。慶応まではそうだったのだから。

さらに言えば、使うにあたって混乱しないよう、西暦の末尾の桁と元号の値を同じにする。つまりは基本的に10年で改元するといった具合である。

これはかなり粗い意見である。それは承知している。しかし明治6年(1873)に新政府が突如として太陽暦を導入した実績、また昭和戦後、新嘗祭を「勤労感謝の日」に、彼岸の中日を「春分の日」「秋分の日」に巧みに読み替えた工夫と比べてみて、そうもむずかしいものではないだろう。

結論をいうと、わたしは元号そのものを好ましく思うのであって、明治以後の一世一元に強い関心を有しない。しかし生活上で本当にややこしいのは、元号と西暦の関係ではなく、実際の「年」と、お役所仕事などの「年度」との乖離である。

2017/01/11 若井 朝彦
元号存続についての折衷案

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2017年1月2日月曜日

編集者が出版のいまを描く時 川崎昌平 著『重版未定』

(年末に本屋に出かけていって、買って帰ってきた本のご紹介。書評というほどのものではありませんが、著者と版元の応援になればと思います。)

著者は川崎昌平氏、タイトルはどこかで聞いたことがあるような『重版未定』というもの。その第1巻。副題は

‐ 弱小出版社で本の編集をしていますの巻 ‐

もともとは同人誌に描かれたものだったというのだが、その後、機会があってWEB連載になり、さらにいろいろとあって河出書房新社からひと月ほど前に刊行。業界の今をリポート、ともいうべきマンガ。

その出版業界はなんといっても目下規模縮小の一途で、歯止めのメドはまったく立たない。腰巻(「帯」ともいう)に書かれた惹句(「アオリ」ともいう)もまったくその線で、

「リアル過ぎて、泣けました。」

である。とはいうものの、悪戦苦闘するキャラクターたちは、見た目には「ゆるい」感じがして、そのリアルさはまろやかな仕上がり。現実はどこまでも徹底的に厳しいが、コマの中のセリフはほろ苦くて、すこし切なくて、「泣けました」というのも決して誇張ではない。

ところで出版業界というと、一方に強烈な理想主義があって、そしてその反対側には冷徹な経営原理があって、登場人物は、みんなその間で悩む。

ともあれ編集長の頭はやはり経営が第一である。
《編集長》
「おい待て、いつ誰が『売れる本』をつくれって言った?
まず『売る本』を用意して、取次に納品することが仕事だろ?」
(第3話 企画会議)
出版社がこんな具合だから取次とのあいだには軋みが絶えない。
《営業・バケツ氏》
「双方動くな!
取次と版元が喧嘩しても、読者は喜ばねえんだよ。
仲良くしても、どうにもならないその日までは・・・仲良くしようぜ」
(第7話 取次)

しかし編集長だって理想は捨てきれない。
《編集長》
「小見出しの出来が、購入の指針になると思うか?
第一だな、小見出しなんて読者を甘やかすだけだぞ・・・
甘やかされて育った読解力のツケを払うのは、結局俺たちだ」

《主人公》
「アレてますね。
なんかあったんですか?」

《編集長》
「ん・・・いや、今年度の決算が・・・ちょっとアレすぎて・・・
思わず酒に逃げた・・・って感じだ、うん」
(第13話 入稿その2)
《編集長》
「1万人のための本ばかり編んでいたら、似たような本だらけになる。
そんな本を編みたいか?
どこにでもあるような本をつくりたいか?
・・・・・・
本のための、本を編め!」
(第15話 辞表)
そしてつねに出版業界の現実と直面している作者はこんな風に言う。
《あとがき》より
いずれにせよ、ちょっとでも本書をきっかけに「出版」や「編集」に興味を持っていただけたら、それに勝る喜びはありません。
誰にも意識されないまま滅びるのが一番寂しいので・・・・・・。
また書物への愛情を、補注の中にさりげなく秘ませる。
《補注》
【 棚 】
この場合は・・・書店の「売り方」や「品揃え」、はたまた生き残るための「戦略」や書籍および出版文化に対する「愛」などを表現する存在としての棚・・・
・・・営業担当者は棚を見るだけで、その書店の真価を見抜くという。
(第6話 客注その2)
以上、まとまった感想を書くつもりが、単なる抜書のメモのようなものになってしまった。これでは応援の後押しにはなりそうもない。その補いにもならないけれども、最後にこの『重版未定』の表紙をご紹介しよう。

表紙といっても、目に触れるカバーのことではなくて、その下側にある、書物にとって本当の表紙のこと。

重版_600

いわゆる「新古本店」でも、カバーのない本には、ほとんど値段がつかない。色刷りのハデハデしいカバーの欠けてしまった本は、見た目には、面白くとも何ともないからだ。今日日の単行本は、カバーを外してしまうと、たいてい幻滅する。あまりの味気なさに、百年の恋だって冷めてしまうほどみすぼらしいものがほとんどだ。

でもこの『重版未定』の表紙は、限られた予算の中で、カバーと同じように慈しんで作られている。わたしにはそう見える。もちろん単色刷りに過ぎないけれども、カバーとは別に作られた楽しい絵柄からは、編集者と著者の真情が、じんわりと伝わってくる。

2017/01/01 若井 朝彦
編集者が出版のいまを描く時 川崎昌平 著『重版未定』

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2016年12月28日水曜日

PPAPとリズムとナンセンス

PPAPとリズムとナンセンス

いまさらながらだが、PPAPが癖になっている。

それこそ最初のころは、

「ピコ太郎っていったい誰」

だったわけだが、それから何度も聞くうちに、シンプルなように見えて、リズムに仕掛けがあって、飽きるということはなくて、プロデューサーの『古坂氏』とピコ太郎(藝人にとって最高の敬称は敬称抜きで呼ばれることだろうと思うので、敬称抜き)の音の引出しの多彩さと、その多彩さに引きずられないサジ加減の上手さ、ブレンドの巧さに気がつきはじめたのが今。

序奏は4ビート。4小節でひとつのブロック。これが2度くりかえし。単純でありきたり。ちょっと油断させている。

セリフ? が入るともっと単純な2ビート。ところどころでアクセントに変化が入って、途中「pineapple‐pen」で刻みが細かくなって疑似8ビート。

で、最後に見得。「pen‐pineapple‐apple‐pen」で変化をつけた16ビート。おやおやという間に乗せられてしまう。

この「pen‐pineapple‐apple‐pen」がリピートして、最後は小噺のサゲみたいにサッとおしまい。この間約60秒ほど。

割り切ってしまえばこれはナンセンス藝なのだが、ナンセンスほどセンスやリズム感が要るものもない。ギャグに合わせてコケル藝だって微妙な間で成り立っているわけで、タイミングを外したら、舞台客席とも瞬間冷凍である。

ナンセンスには意味も思想もないが(ほとんど同義反復。しかしこれは澤田隆治氏の「ナンセンスには意味はありません」という名言の借用の焼き直し)、意味だらけの世間や生活や職場を、ナンセンスは一瞬真空にしてくれて、無用のこわばりをリセットするのだ。(それゆえ、超独裁国家ではナンセンスは生息が極めてむずかしい。)

しかしこんな風にしてナンセンスというものに意味や意義を求めすぎると、ナンセンスが野暮なハイセンスに化けてしまって、その価値を削いでしまいかねないので、はなしを少しずらすが、わたしの以上の年代の者は、PPAPを聞いて、ああこれはトニー谷だ! と思った人も多いのではあるまいか。

実際検索をかけてみると、とっくに日刊ゲンダイのオンラインが、その線でピコ太郎を扱っている。

『ピコ太郎の原点? 往年の芸人「トニー谷」と数々の共通点』(2016年11月6日付)
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/193321

わずか数ヶ月で、週刊誌に揶揄られるだけピコ太郎が偉い、ということだが、しかしもし、誰かがトニー谷をなぞったとしても、それでサマになるのは滅多にないことだし、ましてそれで爆発的に売れるなんていうことは、ほとんど起こり得ないことだ。やっぱり『古坂氏』とピコ太郎の勝ちなのだ。それに『古坂氏』とピコ太郎には、往年のトニー谷以上のリズムの「持ちネタ」がまだまだあるはずだ。

しかしリズムというものは、とことん強い。「音楽は世界の共通語」とか「音楽は国境を越える」といった成句があるけれども、これらはほとんど本当ではない。ただ、リズムとなると、そんな壁を簡単に越えてゆくことがある。速くて細かくてアクセントが強くて、繰り返しがしつこいと一層効果的で、これは『運命』(ベートーヴェン)だって『ヴァルキューレの騎行』(ワーグナー)、『トルコ行進曲』(モーツァルト)、『イタリア』(メンデルスゾーン)だってそうだ。したがってその分用心も必要で、政治家のワンフレーズだって、シュプレヒコールだってリズムがその良し悪しを決めていたりする。

ところでピコ太郎は暮の紅白に登場。わざわざPPAPを封印することはないだろうが(それはそれでおもしろいかもしれない)、まったく同じヴァージョンではないはずで、どんなリズムのひねりを入れてくるのかと、とても楽しみ。

2016/12/27 若井 朝彦

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2016年12月18日日曜日

當る酉歳・顔見世先斗町興行

當る酉歳・顔見世先斗町興行

暮の京都というと、これは南座の顔見世である。芝居好きが、他の街と較べてとくに多いということもないだろうが、南座は、藝どころの花街と背中合わせの一体で、やはりここに大きな芝居が立つと、四条界隈の空気も変わる。京都市街にとっては、なくてはならぬ、にぎわいの要穴である。

ところが本年年初のこと、南座は休館する旨、経営の松竹から突然広報があった。

「改正耐震改修促進法による耐震診断を実施した結果、安全性向上を図る工事を検討することになりました」
http://www.shochiku.co.jp/notice/play/2016/02/015421.html

という次第。

松竹は、京都での興行の一部を、すでにすこしづつ他の劇場に振り替えはじめていたから、その兆しがなかったわけでもないのだが、やはり驚かされた。しかしわたしが、自宅にいるのと、南座で芝居を見ているのと、どっちが危険かと問われても、どっちもどっちだとしか言えない。鉄筋コンクリートで八十何歳の南座よりも、京都にはもっと老齢の木造住宅も多い。この

「改正耐震改修促進法」
http://www.mlit.go.jp/jutakukentiku/build/jutakukentiku_house_fr_000054.html

というものは、はたして大多数の安心安全を主眼にしてできたものなのかと、わたしにはどうしても疑念が生じてくるのだが。

耐震問題はこの程度にしてはなしは今年の顔見世に。もし南座が休館したとしても顔見世がなくなる、とはだれも夢にも思わない。1990年から翌年にかけて南座が大改修をした際には、祇園甲部歌舞練場に会場を移したという例もすでにある。しかし今回は甲部には持ってゆかれなかったにちがいない(サラリと理由は省きます)。なんと先斗町の歌舞練場に持ってきた。ところが南座約1000席に対して先斗町は約500席しかない。

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その南座だって歌舞伎の小屋としては大きい方とはいえない(現在の歌舞伎座1800、国立劇場1600はもちろんだが、江戸三座にしてからが2000人は入ったものもあったと、森鴎外と三木竹二などが表にして示していたほどだ)。それをもっと小さい劇場で、客席も半減。チケットは値上がりしはしないのだろうか。それより演目はどうなるのか、と芝居好きは皆それぞれに心配したのだが、松竹は、顔見世の昼の部、夜の部の二部制の興行を、一部、二部、三部の三つに切り直して、チケットの単価の高騰を防いだ。また演目についていえば、南座の回り舞台のようなものは先斗町にはないので、装置や転換の大がかりな狂言は避けた。演出についても同様。

以上は松竹の止むを得ぬ措置とはいえ、じつはこのことに期待する向きもあったのだ。小さい小屋の芝居でだったら、どの席からも役者が近い。舞台の役者から見ても客席が近い。芝居もおのずとちがうものになるはずだと。

わたしが見たのは中日を過ぎた頃ということも手伝って、元が人形浄瑠璃の丸本物など、南座での上演とはちがった、独特の間が生れていたように思われ、なんとも言えぬ濃い芝居になっていた。あえて冷静に抽象的に書くけれども、この親密な空間で、あんな所作の芝居をされたら、気持ちがふっと向こう側に持ってゆかれそうになる。

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興業もまだ一週間は続く。またわたしが出かけた日は、NHKのカメラが入っていたようだったから、その収録分も例年通り年末に放送されるだろうが、来年の顔見世は一体どうなるのだろう。

わたしとしては、やはり南座に戻ってもらいたい。しかしそう思う一方で、小さい劇場の密度の高い芝居も捨て難い。実に悩ましい。

また今年の三部制よりも、元の昼夜の二部制の方が、断然腰をすえて楽しめると思う。そうは思うものの、今年の夜の部は、開演が5時45分ということもあって(二部制だったら、普通は4時前後に開演)、そのせいか客席も若返ったようで(ご老齢のファン皆さまには申し訳ありません)、また男性も多く、その男性も一人で来られる方も多く、これはこれで成功していたように見えた。東京の劇場が三部制で回している理由もこのあたりにあるのだろうか。

松竹としては、南座を休ませた上にも、客席数の少ない他の劇場を借りているわけで、その負担も並のものではないだろう。しかし当の松竹からは「安全性向上を図る工事を検討することになりました」に続くお知らせはなく、いま事態がどこまで進展しているかは、まったく以って不明。

歌舞伎座の建て替えのように、高層ビルの膝元に劇場を収めるのは、京都で、ましてあの立地では完全に無理。かといってあの外観を保ったまま耐震化工事ができるものだろうか。劇場の内部構造も絡んで、容易なことではあるまい。松竹にも難問なのかもしれない。

2016/12/17 若井 朝彦

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2016年12月13日火曜日

創作と盗作の間で

創作と盗作の間で

柔軟で、捉えどころがなくて、その姿をどんどん変えてゆくネットというものの上で、途方もないほどの情報がやりとりされて、その情報が大量に複製される一方で、紙による出版というものがその主座から去ろうとしているいま(記録を確定させる力と保存性ではまだまだ捨てたものではないが)、創作と引用と参考と模倣の境界は曖昧になるばかりだ。盗用盗作はもちろん論外だが、オリジナルとはいったい何なのか。

著作権法やその解釈、判例ももちろんあり、おおむねその示すところにしたがって判断して行動しているわけだが、今後も次々とあらわれるであろう事態に、このままでどこまで追いついてゆけるものなのか、心許なささえ感じる。

しかし創作、創造、新発見、というものであっても、先行著作、文化の蓄積と無縁のところからは、まず生まれてくるものではない。オリジナルといっても、その基盤は、もともとが微妙なものなのである。

たとえば現地現場にでかけて、調査し、ルポするという行為であっても、ルポにはルポなりの作法というものがある。無秩序に情報だけを並べても誰も読んだりはしない。

一人の小説家が、かなり奇矯なものを書いたとしても、小説という形式からは簡単に逃れられない。またそれ以前に作家は、文法、正書法、書式、印刷形態、造本というものと、完全に縁を切ることもできない。普通があってこそ、作家作品の突飛が目立つのである。

画家の筆がどんなにあばれても、たいていは方形のカンヴァスか紙の上のことに過ぎない。むしろ四角い境界があるからこそ、画家は暴発も可能だ、というべきであろう。じつはこの点では、プロレスとかなり似通っているのかもしれないが。

現代においても、模倣やすでに確立された形式の中から、部分的な独創や発見や意見が生れてくるのであって、だから模倣や参考や引用を軽々に恥じることはないのだ。(わたしが今書いている内容だって、同様のことは、もちろん多くの人がすでに書いている。何らかの値打ちがあるとしたら、今現在あらためて書いている、という事かもしれない。)

そこでわたしはだいたい次のように考えるようにしている。

まず学術的な著述に関して。

たとえ先行する論考や資料の整理に過ぎないものであっても、有益な視点が加わっているのであれば、それはすでに一個の論考であると。

これは引用の例だが、吉田秀和はその手では名人で、ただし引用文をしばしば勝手に書き換えていた。吉田はその都度、

(×××著・△△訳 『○○○○』から自由な書き換え)

という風に注記するのがつねであったが、それでトラブルがあったとは聞かない。たいていの場合は吉田の添削によって、引用の目的は明解になり、そして引用元のオリジナルも映えたからである。ほとんど引用藝術だったのだ。

そして藝術作品に関して。

たとえ先行する作品からの大幅な模倣であっても、オリジナルの持つ魅力を凌駕していたら(または別の次元で展開していたら)、それはすでに独立した作品であると。

したがって優秀な模倣の下敷きにされてしまったオリジナルは、たいてい情けないことになってしまうものだ。しかしもっと惨めなケースは、魅力に欠ける模倣(盗用)作品が、そこそこヒットしてしまった場合である。この場合は隠れようがない。服部克久氏の『記念樹』がそうだったと思うが、良心の有無以前に、腕前の良し悪しがまぎれもなく顕わになってしまう。もし『記念樹』の方が、(合唱編成と器楽編曲と録音とを含めて)オリジナルより優れた作品になっていたら、あれだけメロディーラインを踏襲していたとしても、「盗用」の声は挙がらなかったにちがいない。いまもわたしはそのように考えている。

この2016年12月現在、槍玉に挙がっているキュレーションなるものにしても、適切に広く集め、見通しのよくなるように並べ、各々の説に注釈を施し、参照すべき事柄にも触れる、といったやり方でやれば、これは立派に人の役に立つものである。誰が集め、何を参考にし、どこから引っ張ってきたかを明示すれば、堂々とした著作物である。

ネット以前、1990年前後までは花形だった『現代用語の基礎知識』にしろ、おおむねそういう形態で編集されていたのであるし、この『現代用語の基礎知識』には、さらに模倣同種の『イミダス』や『知恵蔵』が一時追従していたのも、よく知られる通り。

しかしネット上の情報の増殖は、印刷出版の比ではない。その量と速度のもの凄さに、著作権法はすでに息切れをしているように見える。とはいえ、今回、盗用指南とその粉飾手法まであきらかになった「welq」等の例が示したように、問題があれば法が追いかけるよりも先に、ネット上で放置はされない場合もあるということだ。

今後もいろいろとカラクリのあるメディアは現れるだろうが、広告のサイトであれ、報道であれ、政党や組織のキャンペーンであれ、それがネット上で展開される限りは、何かをこっそりすることは、もはや簡単にはできなくなってはいる。

2016/12/12 若井 朝彦

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2016年11月18日金曜日

ロビュションと「旬」の思想

ロビュションと「旬」の思想

すこし古いはなしで恐縮だが、先月10月25日の朝のこと、テレビをつけるとチャンネルはNHKだったもので、8時すぎからの『あさイチ』がはじまったところだった。

いったい朝の番組でどんな特集をすればそんなことになるのか、どうもよく判らないのだが、おどろいたことに、その『あさイチ』にロビュション氏が登場した。

ほかでもない料理人のジョエル ロビュションである。あこがれのまなざしを向ける若い調理学校の生徒たちを前に、朝から陽気に腕前を披露して、『ジャガイモのピュレ』と、(これは新作の創作として)『ご飯のガレット・目玉焼き乗せ』(NHKの説明によると『目玉焼きを乗せたガレット』)を作ってみせた。

わたしのロビュション経験といえば、これはまったくおはなしにならないなもので、恵比寿にタイユヴァン・ロビュションが開店してすぐに、カジュアルな方の一階の「カフェ・フランセ」で牛頬肉のミジョテのランチが一度と、その数年後に(これはきちんと二階での)昼のコースが一度きりだ。

そんな20年ほども昔の経験で、とてもロビュションの料理を語る資格などないのだが、しかしその時にメインで出された仔羊の料理のお皿に添えられていた『ジャガイモのピュレ』の印象は、いまも新鮮で、とても忘れられたものではない。テレビを見て、まざまざとその口に含んだ時のおどろきがよみがえってきた。

ところで氏には著書も多い。『ロビュションの食材事典』(監修・服部幸應、翻訳・福永淑子、柴田書店1997)はそのころに購った一冊で、愛読書なのである。ロビュションに全然食べにはゆかれないけれど、写真と文で楽しみましょうというわけである。
(当時の日本には、まだバブルの名残のようなものがあって、ロビュションが日本に店を出したのもそんな流れがあったからなのだが、画集のような料理本の出版も比較的容易だった。)

テレビでしゃべっていたように軽妙で、歴史に根ざし、食材への関心感謝に満ち、信仰の裏打ちもあって、読んでいて飽きることがない。その一項目と料理の写真を紹介(引用)してみよう。
「そら豆」

東洋原産のそら豆は、父祖伝来の野菜。古代ギリシャ・ローマの時代から栽培され、聖書にも、マハナイムにいたダヴィデ王に貢がれた食べものの中に大量のそら豆があったことが記されている。

どんな料理にするにしても、そら豆は絶対に新鮮でなければ困る。見分けるこつは、簡単。莢の上からさわるだけ。中に豆が入っていることを確かめればよい。莢がふっくらとしていても中が空なことがあり、よくだまされる。

・・・(調理法など中略)・・・

偉大な食材の例にもれず、そら豆にも象徴的な意味がある。1月6日前後の日曜日に行われるカトリック教の祝日、公現祭の食事では、最後に出される菓子<ガレット・デ・ロア 王様の菓子>の中に乾燥そら豆が隠されている。これから生まれる生命、萌芽をあらわしているという。結婚式では、そら豆を神へ奉納し、こども(そら豆)を授かりますように、家族の血筋が永遠に続きますようにと祈った。春がめぐるたびに生まれるそら豆、それ自身が永遠の象徴ではないだろうか。
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この一節だけでは紹介しきれないが、ロビュションには、日本の「旬」の感覚とも似た思想が身体に備わっている。この本を手にとるたび、わたしはいつもそう思う。きっとこういうこともあって、氏は日本と相性がいいのだろう。

日本でも、たとえばアワビでもって、ロビュションと同じような語りができるのではなかろうか。神話から説き起こして、長崎俵物で輸出されたアワビ、また途中には落語の『祝熨斗』をからめもし、今年2016志摩サミットで饗された高橋忠之シェフ由来のアワビのステーキのことなどなど。

ところで氏は今度は、日本酒のフランスへ紹介と輸出に精力を傾けるようだ。ネット上のニュースでも、かなりの記事が目に入ってくる。

http://www.nikkei.com/article/DGXLASFB28H4C_Y6A021C1000000/
http://www.saga-s.co.jp/news/saga/10105/315074

「旬」といえば、普通は季節の旬のことだが、人にも物にも旬というものがある。そういった意味で、ロビュションは日本の「酒」の旬というものを見つけたのだな、とつくづく思う。(ボージョレー2016解禁の日に)

2016/11/17 若井 朝彦

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