2015年12月23日水曜日

「中央省庁の移転」考

「中央省庁の移転」考

京都には文化財が多い。多いといってもそれは建造物のことで、文化財総体では東京ほどでもないだろうが、ともかくそういう理由で、例の「中央省庁の移転」では「文化庁は京都に」、と府市が合作中である。最近、これにも関係して文科大臣の来京視察があったばかり。だがその道中の案内では、ものの見事にスベってしまったらしい。尾ヒレこそついていないようだが、新聞が面白おかしく料理していた。

もともと文化庁が激しく嫌がっているわけで、この結末も、大臣が東京を出発するときには、誰かによってすでに決められていたもののような気がしてならない。

さて、文化庁といっても、国民国益にとって最大の仕事は、いまや著作権や知財である。その外国との攻防戦、国内の調整を、空港も大使館も衆議院も参議院もない京都でできるわけがない。

京都市議会の11月例会でも「移転促進」決議が最終日に提出されて可決はされたが、全会一致とはならなかった。

ただでさえ、京都は文化財を人質にとって交渉している、と思われているわけで、不同意があったことには正直ほっとした。こんなことで一丸となっているようでは恥ずかしい。もっともこの反対行動も、迫る選挙があってのことだったのかもしれない。

その文化庁も、年中行事としてのニュース種を持っていて、夏すぎごろに、全国紙のいい場所を貰える日がある。

『国語に関する世論調査』の発表である。目次からその項目をざっとあたると、

・人が最も読書すべき時期はいつ頃だと考えるか(H25)
・今の国語は乱れていると思うか(H26)
・ふだん、手書きで文字を書く方か(H24)
・日本人の日本語能力が低下しているという意見について、どう思うか(H23)

という具合。設問というよりもほぼ誘導訊問で、いかにも(週に2回以上発行される)新聞の読者層の受けを狙った項目が目立つ。担当は文化庁文化部国語課である。そんな課があったんかいな、といった感じだが、文化庁もこの国語課なら手放してくれるのではあるまいか。

『今年の漢字』が、年末に清水寺で発表されるのと同じように、この手の発表なら、京都でやってもどこでやってもぜんぜん困らない。調査も委託事業であるし、その内容にも頓珍漢なものも混じるし、公表はPDFであるのだから。夏と冬でいい一対になりそうだ。府と市も、この程度の「なんちゃって移転」で満足すべきであろう。

しかしどうして省庁の移転は国内、なのだろうか。

観光庁は北海道ではなくて出発国の北京に。消費者庁は徳島ではなくて消費財生産国のハノイに。文化庁は京都にではなくて、不老不死のネズミの住むというカリフォルニアに。防衛省は・・・・・・

同じ移転を玩ぶにしても、ほとんど「移転移転詐欺」の国内論議よりも、虚構新聞(本社=大津市・発行所=滋賀、東京、ニューヨーク、ロンドン)ばりの『空想力』で突飛なプランをあれこれ検討した方が、役所の本質が見えてくるかもしれない。

2015/12/20
若井 朝彦(書籍編集)

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2015年12月15日火曜日

「地方議会への陳情」考

「地方議会への陳情」考

今年になって、初めてしたことが二つある。一つは新聞の読者投稿。もうひとつは議会への陳情である。新聞社の投稿の扱いについてもいろいろ意見を持っているが、今日は陳情についての考えを主に。
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新聞投稿と陳情と、内容から言えば同じ傾向のものだった。一連の活動だったのだが、最初に手をつけたのは新聞の方。新聞には投稿規定が書いてあるからわかりやすい。そのころはまだ、陳情や請願の何たるかを、よく理解していなかったのである。

そうこうするうちに、同じ活動をしておられ、わたしと同じように新聞投稿しておられる方の活動がネットで見えるようになってきた。むかしのように、人づてにやっと相手を見つけて、出向いていってはなしをする、というのではなくて、検索とメールであっという間に繋がるのである。

それでわかったのだが、そちらの方々はすでに議会陳情もしておられたのである。その陳情過程を拝見すると、ちょっと驚きの展開があった。

その方々の最初の陳情は、直近に自治体が公表したある計画への異議申立てだった。またその計画の公表の仕方は、住民の裏をかくような仕方であった。それだけに、陳情活動には、その怒りも含まれていたように思う。その怒りはともかくとして、陳情ではその「計画の見直し」を求めていた。

陳情には効果がたしかにあった。議会の委員会の陳情審査の直前、自治体からは先手を打つように計画の修正の方針が示された。そんなこともあって委員会では、やや形式的な審査に止まったようであった。

その方々はまた、地域の署名も集めておられたのだった。怒っている人は相当に多く、短時間にかなりの数が集まっていて、当局に提出。新聞でも大きく取り上げられた。その勢いもあってか、当初は「見直し」だったはずの陳情をパワーアップさせ、今度は計画の「白紙撤回」を求めて、すぐにも再陳情されたのである。最初の陳情審査から一ヶ月もしない内のことだった。

事態を知った人がだんだん増えていったということもあるし、計画内容や資料の検討が進んだこともあって、自然な流れではあったが、これは普通の交渉事や、裁判ではめずらしい展開ではないだろうか。「白紙撤回」の陳情がだめだったからレヴェルを落として「計画見直し」を求めるというのなら、よくあるはなし。しかし見直しも完全には認められない内に、白紙撤回に格上げしたのであるから。

こういった場合、議長の裁量によっては、「すでに審査済みの案件」になったりはしないのだろうか。もっとも住民の怒りが強い場合は逆効果だろうが。それはともかく、どうやら議会への陳情というものは、ずいぶん敷居が低いものらしい、ということはよく分かったのである。

そこでわたしも、議会事務局に問い合わせ、相談するなどして、まず1件陳情を提出。実際に陳情を提出してみると、その簡単さがよくわかる。直接議会に出向く必要もなく、印紙を貼るでもなし、82円切手一枚の郵送。それに気をよくして、さらに数通の陳情を作成。最初の一通だけでは、自分の考えのすべてではなかったのである。これはそもそも、内容一件につき陳情一件という規定があるからなのだが、全体を通読していただければ、わたしの考えがわかるようにしたつもりである。

このころになるとあることに気がついた。自治体に対して意見があって、それが新聞投稿としてまとまるようなら、その投稿は、議会陳情に書き換えが可能だ、ということである。投稿と陳情。一粒で二度、である。

また新聞投稿として採用されるようなら、議会に出しても内容のある審査となる可能性がある、といえるかもしれない。

さて最後に、今回、陳情提出とその審査を見て、その出し方について思ったことなど。

議会がその問題をよく認識している場合は、あまり具体的な内容の陳情をしない方がよいらしい。というのも、そういう場合は提出だけで議論が進むからである。今回の場合でも、陳情者であるわたしも気がつかない掘り下げがあった案件もあった。

逆に、当事者に問題の認識が弱い場合は、議論は期待せず、事実の報告を主とした陳情の方がよいかもしれない。いつか大きな議題となる準備で満足すべきだろう。

議員の紹介を得て、陳情を請願に格上げすることも可能である。そして請願の場合は、採決にもなる。しかしその場合、否決となると後がない。可決されても強制力はない。こう考えると、議事として粘り強く続きの期待できる陳情の方が、わたしには好ましく思われる。

 2015/12/05
 若井 朝彦

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