2016年1月31日日曜日

「チリワイン」考

「チリワイン」考

ここのところ、新聞にチリワインの記事が続いた。数日前に「日本のワイン輸入量でチリが首位フランスに肉薄」というものが出たばかりだったのだが、最新の数字では「ついにチリが首位に」ということになったようだ。紙上はほとんどペナントレースの扱い。

しかしこのチリワインは、とりわけスーパーに向いていた。

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500円前後のワインいろいろ
説明するまでもなくここ数年、スーパーやコンビニの酒類の棚はチリワインが花ざかり。フランスワインは1,000円前後からだが、チリだと関税優遇の追い風もあって500円前後。この500円のものが1,000円のフランスよりもしっかりとしたボディーと酸を持っている場合も多いものだから、街場の店舗ではとっくに勝負はついていた。

500円で750ccである。発泡酒のファンも、時には振り向かせることが可能な価格だ。

スーパーの棚にだって、2,000円のブルゴーニュや、店によっては5,000円程度のシャンパーニュ(どちらもフランス)も置いてあるわけだが、そんなワインがスーパーで回転がよいはずもなく、実際のところはチリワインのコスパを際立たせるディスプレイのような扱いなのかもしれない。

スーパーというところは、ワインでは定番をおいておかなくても、まあ許される。あるインポーターからのチリが売り切れたら、別の系統のものを仕入れればいい。価格本位で選び、評判で絞っていけば当たりがとりやすい。身軽に戦えるわけだ。

数日おきにスーパーの棚を見ていると、回転のいいワインは自然と目につく。チリに限らず、気に入ったものがあって買い増ししようとでかけても、もう残っていなかったりするのだが、そんな時は、だれかと評価が共有できたような気がして、なにかうれしい。

一方で「どうしてもフランスのあの村のものでなければ」という層は、店頭で買ったりはせず、ネット通販でさがして購入するのが普通になっているのだろう。ワイン専門の店舗は、この両方の勢いにどうしても飲み込まれてしまう。つらいところである。

チリワインもしっかりとしたボディーがあるので、1~2年放置しておいても、赤、白、ともに気になるようなバランスの崩れは起こさないだろう。かといって、わざわざ熟成を楽しむものではなさそうだ。フランスの立派な肩書きのあるワインのように、年月とともに香りが開いてくるということは、普通はない。

だがここ数年のチリは本当に楽しかった。同じラベルのワインが、毎年どんどんおいしくなっていったからだ。これはヴィンテージによる変動ではなくて、チリ全体のグレードが上がったからだとしか思われない。

このごろはチリのものでも、部分的にはていねいに樽熟成をし、そののち瓶詰して出荷、というものもよく見かけるようになった。そういう規格があるからだが、価格はやや高く、1,500円から2,000円程度。まだ試行の段階とはいえ、やがてはフルボディーの長期熟成向きのラインナップが充実してくるかもしれない。

南アフリカ、チリ、アルゼンチン、ニュージーランドのワインなどは、旧大陸(フランス、ドイツ、イタリア、スペインなど)のワインに対して、ニューワールドワインと称されてきたのだが、南アフリカはもちろん、とくにチリは店頭の立派な顔になっていて、いまではとてもニューワールドワインとは言えないだろう。

これから新たに名前が売れてくるとすればメキシコだろうか。あるときスーパーでじつに安価な発泡性のワインがあって、これがメキシコ産だった。安くて二の足を踏みそうになったが、それは杞憂。飲みもしないのに、価格だけで勝手な判断をするのはワインに失礼だし、第一自分が損をする。これがわたしにとって生まれてはじめてのメキシコワイン。そのあとも時々飲んでいるのだが、年々品質が向上しているのがわかる。普通の赤や白も、ぜひためしてみたいものだ。

このメキシコの発泡性のワインも、シャンパーニュと同じように、ワインを瓶に詰めてから二次発酵させ、ワインに豊かな炭酸ガスを含ませ、最後に澱を集めて除くといった手間のかかる方法で作られている(ところでシャンパーニュなど発泡性のワインに言及する場合、事情あって、このように説明が長くならざるを得ない)。手のかかる分だけ、メキシコは人件費の点で有利なのだろう。

ワインの世界地図が、今後どのように変わるのかは興味が尽きない。葡萄をはぐくむ土は容易に変化しないが、気候には短期長期の変動が起こりうる。あらたな国が伸してくるかもしれない。日本のワインも、もはや価格では闘えないだろうけれども、その分こまやかな造りで、独自性をどんどん発揮しはじめている。チリがそうだったように、いつかブレイクスルーに立ち会える楽しみが待っているかもしれない。

2016/01/29
若井 朝彦(書籍編集)

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2016年1月23日土曜日

「制限選挙」考

「制限選挙」考

日本には日本の、世界各国にはそれぞれの選挙事情がある。議会制国家といえども、形態はさまざまだ。

イギリスの小選挙区制、ドイツの5%条項、最近注目の度合いが高まったギリシャの選挙では、第一党へのボーナス配分があるのだという。ドイツは切捨て主義、ギリシャはオマケ主義である(切捨ても併用)。わかりやすすぎて思わず笑ってしまうが、それぞれの国にはそれなりの背景がきっとあるのだろう。

現在は解消の方向らしいのだが、フランスの場合、国民議会と地方議会、または首長などとの掛け持ちが許されている。公職にとどまったまま別の公職への立候補も可能であるようだ。ミッテランと大統領の座を争ったシラクは、パリ市長のまま立候補し、ミッテランに二度敗れても、パリ市長のままであった。

この大統領の選出方法も個性ゆたか。アメリカの「州別総取り方式による代理人選挙」というのは(日本人からすれば)じつにわかりにくい。ごく一部の州では比例配分するというのだからなお複雑。先日の中華民国の総統選挙は、ただ票を合算するだけだったから、こちらの方が合理的だと思うのだが、国の大きさもちがえば歴史もちがって、一概にどちらがいいとも言えないのだろう。

しかしどのような方法にしても死票は出るし、判定には不合理が、そして議席の配分にも偏りが生ずる。だがギリシャがそうであるように、勝者にはより多くの議席を配分して政権を安定させるという制度上の工夫は、あらわである場合もあればそうでない場合もあるけれども、多くの国に見られるものだ。かならずしもそれは悪ではないと思う。

さて、日本の制度である。

憲法前文、その冒頭いきなり、

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、
とあるように、日本は代議士制度国家である。そして

第十五条
3 公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。
とあって普通選挙だということになっている。しかしこの「普通選挙を保障」という一句は、現在からすればやはり違和感がある。この憲法の制定時、いわゆる「普通選挙法」が成立してまだ20年すこししか経っていなかったという事情もあった。普通選挙というものは、国会が成立させたものというよりも、政府が許可した制度であった色合いがまだ残っているわけだ。

ところでこの日本の選挙制度はとてもややこしい。二院制で、任期の設定、解散の有無は異なり、どちらの院も選挙区と比例区を持つ二票制だが、区割りはまったく別もの。参議院は区ごとの定員もマチマチである。

ツギハギだらけの選挙制度である。こうなったについては、第一に時の与党の現職議員が、自分の選挙のことを専らに考え、自らで自らの選挙ルールを決めて(あるいは古いルール放置して)きたからである。

その結果、一票の途方もない格差も生じているし、とても「正当な選挙」とはいえなくなっているわけだが、かといって民意をまったく無視しているというものでもない。ないよりもはるかにマシ。どうにかこうにか続いている。

こういったこともいずれ糾さなければならないだろうが、しかし最大の問題は、選挙権にではなく、むしろ被選挙権にあるとわたしは考える。

立候補にとてつもなく高いハードルがいくつもいくつもあるということだ。立候補=被選挙権について、日本は立派な制限選挙である。

一般人が立候補しても、当選できないのははじめからわかっている。だからといって参入障壁が高くてもいいということにはならない。ほとんどの有権者が立候補を想像することすらできないという制度は、有益な政治的意見の醸成を困難にするからだ。

日本における「普通選挙」の欲求は明治から大正にかけて高まった。だがその概念は投票権に特化されてしまっていて、参政権全体に及んでいなかった。戦後当時には憲法が普通選挙、女性の参加を保障するだけでも十分前進だったかもしれないが、今はちがう。

しかしながら被選挙権のあり方は、戦後さらに制限の一途であった。可能年齢、高い供託金からはじまって、政党助成金による既成政党への保護、政党要件による制限、立候補者数による差別など。

新しい政党も、一皮剥けばその多くが、自民党か、自民党に近い層からの枝分かれであったのも、この制度制約と無縁ではないだろう。

このような状況が続いたために、政治的意見が、政策提言にではなくて、強硬な反対運動に集約されてしまう。国会における万年野党が、与党のスキャンダルや、いわゆる政局には関心はあっても、国家運営には無関心であるのと同じように、世論の野党化が深刻さを増す。新聞もテレビも出版もこの傾向が止まらなくなっている。

可能性としての立候補を極端に狭めることは、政治的意志だけではなく、政治一般の理解力までも弱らせる。投票権の年齢をいくら引下げても、なんら改善しない。立候補制限の低減は、もしかすると一票の格差の解消以上に重大な課題であるだろうと、わたしは考えている。

2016/01/21
若井 朝彦(書籍編集)

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2016年1月10日日曜日

「パンデミック」考

「パンデミック」考

関西はいまのところ暖冬である。

先月12月12日のことだった。例年なら暮れか正月ごろに開きはじめる蝋梅が、はやくも香りを立てているのに気がついた。すこし驚いたのだが、やはりあたたかいせいらしい。こんな様子なので、関西のインフルエンザの流行はまだはじまっていないようである。熱を出したという人も、身近にはいない。

蝋梅
近日のこと、「正月になってからこんなことがあった」という話を聞いた。その方のお宅に、近くの開業医、つまりホームドクターから電話がかかってきたというのである。

「インフルエンザの予防注射は、どうぞ1月末までにして下さい」

その方は、すでに昨年の秋の内に、そのドクターから接種を受けていたので、この電話に苦笑したとのことだが、どうもワクチンがまだたくさん残っているらしい。その上に外来患者は少なく、時間にも余裕ができて、電話でもしようか、という気持ちになったようだ。

このワクチンというものは、当たり前のことながら、インフルエンザが流行らなければ残り、流行れば足らない、ということになる。

ドクターの内情はともかく、普通人にとってこの状況はひとまず結構なお話ではあるが、油断はしてはいられない。世界はやはりいまもパンデミックの淵にいる。そう考えておくべきだ。

恐怖にも「はやりすたり」というものがあって、煽られた恐怖も、また忘れられた恐怖も多いが、残念ながらこのパンデミックは、どうもその後者に分類されてしまうようだ。しかしここ数年、世界がインフルエンザ・パンデミックを忘れていられたのは、偶然であったのかもしれない。

けれども感染症の専門家、また医療現場に立つ方が、限られた予算、限られた時間人材で、将来に備え、身構えておられること、時々見聞きする。本当に頭が下がる。

ところでわたしは、(政府の指導で作成されたものだと思われるが)小売店舗で全国展開する企業のパンデミック対応マニュアルを見せてもらったことがある。豚インフルエンザがおさまった2009年の秋のことだった。

よく考えれば普通のことが書かれてあるにすぎないのだが、またこのマニュアルにもひな形があったのかもしれないが、その中でも忘れられないのは、パンデミックの終焉期の対応項目として「死亡従業員の把握」「死亡従業員家族への弔問」があったことである。

わたしが時々パンデミックについて思い出すのは、この時の印象や、医療に献身されておられる方の言動が、ずっと記憶にあるからかもしれない。

しかしひとたびパンデミックが起これば、どの程度の速さでウイルスが世界に拡散されるかわかったものではない。重症化の例の少なかった2009年の豚インフルエンザの際も、あきらかに専門家の想像以上の速さで国境を越えていた。その2009年と現在とを比べても人の移動は、速度、量とも格段に増しているはずである。また栄養状態、衛生状態の良好とはいえない地域から、大量の移動が生じた場合、その速度は一層はげしいものになるだろう。

朝鮮半島も中東も揺れている。正月早々に夢ではなくて、怖れを語らなければならないのは、なかなかにつらいことであるが、やはりこういったことは避けては通るべきではないと考える。

 2016/01/08
 若井 朝彦(書籍編集)

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