2016年3月31日木曜日

「京都市役所用語としての【説明不足】」考

「京都市役所用語としての【説明不足】」考

京都市議会に陳情をし、また請願を準備している関係で、ときおり市議会のネット中継を見ている。すると繰り返しあらわれて、気になることばがあった。

【説明不足】

である。かなり癖のある使い方をしている。理解するまでにやや時間が必要だった。京都ではこの年初に市長選があったのだが、【説明不足】は、この機会に市役所、市議会の外に出て、いよいよ活動の場を拡げたようである。無論、これは望ましいことではない。

十年ひとむかし・市役所前の日曜日_800
(市役所前の日曜日・ひとむかし前の2006年ごろ)

京都市役所や京都市議会では、この【説明不足】またはその語幹 ?【説明】に、種々の修飾を施して、かなり複雑な表現を可能にしている。

たとえば市長が「この件については、説明不足でした」と言ったとすると、これは
・・・その施策については、関係者の理解が得られず、進捗していない
ということである。

部長局長が「今後説明をしていく」と言ったとすると
・・・その施策については、継続する
ということである。

与党議員が委員会で「説明しっかりして下さい」と棄てゼリフで言ったとすると
・・・その件は会派として賛成はしたが、問題が発生している。あとは市が責任をもって始末するように
といったニュアンスを含む。

中間派の議員が「そんなことは市がきちんと説明すれば済むことだ」というのは
・・・仕事がいいかげんで中途半端だ
という意味のようである。半分与党のスタンスを維持しながら、けれども市に可能な限りケチをつけているのであろう。

「この問題について、市長が直接住民に説明する意志はありますか」
と直接市長に問うた別の中間派議員もいたが、京都市議会の【説明】の用法からすると、これは進行中の計画についての反対宣言とほぼ同義。ほとんど市長の責任を追及しているといってよいのだが、とはいえ、なんとも間接的な反対ではある。

この【説明】云々を用いて議論するというのは、他の議会でもやっているのだろうか。しかし問題はどうして【説明不足】という表現が、京都で活躍するかということである。

そもそも市側が、ことの発端から、しておくべき説明をしていないケースが多いのである。

市役所の持っている情報と、地元の京都新聞や市議会議員の持っている情報をくらべると、後者の方がいくらか分が悪い。したがって市側が議案を提出する際には、「説明」というものが、市議の質問をかわすに充分な程度に止まる傾向がいたって強い。

だが最悪なのは、外部に対する説明不足の習慣が、市役所自身による計画の事前検証の不足をも惹起しているということだ。

それが集約的にあらわれたのが、四条通の車線減少における大混乱である。

工事がはじまって車線が減少するとすぐに、文化的にいって、また商業的にいって、京都筆頭の中心道路である四条に、当初説明とはケタが二つほども程度の違う渋滞が発生するようになったが、この案件に賛成した会派は容易に反対には転じられない。ゆえに「なんとかしろ」「とりやめろ」と、市長にダイレクトに言うことはできず、

賛成会派「今後、住民に説明するように」
市長「事前の説明が不足していました」

といったような、市民にとっては理解のむずかしい、愉快ならざる小芝居が展開されるわけだ。こんな言葉のやりとりだけで問題が解決するはずもなく、本当の勝負はここではつかない。

この車線減少(歩道拡幅)の計画は、東山通に第二期工事が予定されていたのだが、新聞によると、与党はこの第二期問題を市議会のリングから場外に持ち出して、時間外取引で計画の中止にもっていった、ということらしい。

しかしこれは市や市議会だけの問題ではない。市政選挙では投票率が慢性的に40%前後。このモチャモチャした状況はこれにほぼ応じているのだと、わたしは考える。

 2016/03/27
 若井 朝彦(書籍編集)

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2016年3月21日月曜日

「世界遺産と遺産くいつぶし」考

「世界遺産の遺産くいつぶし」考

文化庁の京都移転が決定の運びだそうである。法律で決まった消費税率の変更期日であっても、現政府与党はけっこう容易に変更するほどであるから、これが実際の移転になるまで(または移転の取止めになるまで)、これからどんなドラマがあるのだろう。

関係各位には、騒動を面白がって申し訳ないが、わたしとしてはこのアゴラに移転反対をすでに書いているところ。だがどうしても文化庁が京都にくるのであれば、名称に一字を足して

  古 文 化 庁

にすること、この際ぜひおすすめしたい。東京には知財専門の「新文化庁」を設置するくらいで、ちょうど塩梅がいいと思う。

さてその文化庁が、直接間接こもごもに関係するのが世界遺産登録の文化遺産である。京都滋賀には、その地域を一帯として17個所の文化遺産があるのだが、しかしこの文化遺産も近年、「文化」でも「遺産」でもなくなりつつある。

不動産価値が上がって、周囲が、そして本体が蚕食されているのである。サンプルを挙げると

 《世界遺産に隣して住まう》

といった具合に、マンションがどんどん増えている。上記は即席に作ってみた例だが、そっくり類例のキャッチは、すでにあること疑いもない。

そして行政としての京都市役所も、すでにこの流れに乗っている。

市が所有する物件である二条城、そこに隣接した阪急のマンション建築には、市も異様なほどの反対圧力をかけたが、北陸新幹線のルート選定や在来線の新駅開業で関係浅からぬJR西の下鴨神社の開発に関しては、明確なアッピールを出すこともなく、なんとも簡単に開発許可を下ろした。その対応を振り返ってみるとき、これはほとんど、「どうぞどうぞ」とばかりの促進だったのではあるまいか。

京都の文化観光的価値が上がる、すると不動産価値が上がる、といった連鎖がある。その結果、神社も寺院も市街をはじき飛ばされて、移転する例が少なくない。また京都の文化は、かなりの度合いで代々の家業が支えている。建築だけではなく、人があればこその文化。そういった家族が、相続に際して京都を離れなければならなくなるケースも加速している。不動産価格の高騰は、環境と景観と古建築を侵蝕するだけにはとどまらない。

それでも京都が観光的にやっていけるのは、(首都圏から比較して)周回遅れのトップランナーの状態を、どうにかこうにか維持しているからだ。しかしおくれおくれしつつも、京都市全体が開発のトラックを走り続けていることには変わりない。京都市はこの状態でありながら、またみずからが、開発という名目で破壊することもありながら、よくも文化庁の招致ができたものだ。実に恥ずかしいことに思う。

ところでその世界遺産であるが、京都滋賀が文化遺産の登録を受けたのが1994年。しかし当時はこの仕組みが何であるのか、社寺も行政ももうひとつよく分からず、申請をしなかった古刹もなくはなかった。いまでもその方面から、後悔の言葉が漏れてくることがある。

実際、昨年あらたに社殿の国宝指定を受けた石清水八幡宮は、世界遺産の追加登録に前向きである。この八幡宮は、京都市街からすると、淀川をはさんで南対岸、八幡市の男山(おとこやま)の森厳としたいただきに御鎮座。

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(ある日の石清水八幡宮)

明治の廃仏毀釈があって、この八幡宮もその際に大きく改まり、古体そのままとはいえないのだが、すでに登録の他の社寺また建築と比して、世界遺産であることには、まったく問題はないだろう。しかし男山一帯がどこまでも神域というわけではない。

京都から大阪に電車で行く時、JRでも阪急でも(おそらく新幹線でも)山崎にさしかかると、対岸にはっきりとわかるので、一度ご覧いただければと思うのだが(京阪はまさにそのふもとを走る)、この男山は、大阪側の西半分はとっくの昔に造成済みである。

東側の神域は神域として、また西側の団地は団地として落ち着いた住空間があり、それは現在でも適度に区切られてはいるのだが、こののち、静かな東側はどうなってゆくのであろうか。

世界文化遺産というものは、商業的不動産的にはたしかに正の記号であるが、肝腎の文化的にはまったく心許ない限りだ。下鴨神社がそうであったように、世界遺産の「遺産」は、いとも簡単にくいつぶしの標的に変わる。男山の神職みなさまには、どうかいま一度立ち止まってご検討をと、ぜひにも申し上げたい。

 2016/03/17
 若井 朝彦(書籍編集)

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2016年3月17日木曜日

「〇〇新書」考

「〇〇新書」考

なにをいまさら紙媒体の「新書」のはなしを、と言われるかもしれないが、新書を通じて出版と書店と読者の今をすこし考えてみたい。2016年現在においても、出版はやはり社会一般の縮図のひとつであろうかと思う。

本屋にでかけると新書の棚の前に行く。新書はかなりの新刊が出る。諸社一切合財で、毎月100冊前後の新刊があるのではなかろうか。新刊本が潤沢に供給されているここは、静かになった現代の本屋でも、まだまだにぎやかな感じがする。

どんな本が出ているのかは、ネットでわかる。ネット上でも数ページなら「立ち読み」もできる。ネット上の書店にはコメント書評も附属している。だが、ここにあるあらゆる本の任意のページを、思いのままに「立ち読み」できる書店の機能は、やはりたいしたものだ(たいしたものだった)と、いまさらながら思う。

そこでどんな新書が出ているのか、というと、それは情報、情報、情報。

目立つものは「利殖(経済)」、「健康(医療)」に関するもの。

しかしこれが曲者で、たとえば病気に関する内容など、ある一冊が正しいとなると、その近くの本棚にある数冊の新書は「トンデモ本」ということになる。よく言えば百家争鳴なのであるが。

この「利殖」「健康」に「宗教」を加えると、これはもともとがペテン師のホームグラウンドであるわけで、ここに大量の書籍が投入されつづければ、その分野全体が怪しい感じになること、やはり避けがたい。

しかしA社が○○派ならB社は××派、というのならまだ解るが、一社の中で、相矛盾して、内容が喧嘩しているようなラインナップにさえなっていることが、ままある。これは出版の自由といわんよりも、出版社の身勝手というべきか。

結局のところ、詐欺から自分をどう護るのかと同じ事情で、読者諸賢にお任せ、自己責任で読め、ということになるのだろう。だが、積極的に評価はできないものの、昔の権威主義的な新書形態から見て、悪いことばかりではないようにも思われる。

ところで、新書本というものは、そもそもルポが得意で、学術を紹介している場合でも、豊富な臨場感を持たせて書くのが普通だった。古典を扱う「文庫」に対して「新書」という名称が与えられて定着した事情も、このあたりにあるのだろうが、総じて研究者の半自伝のような仕上がり。それでも研究そのものに対して、広い目配りは抜かりなく。

大古の昔の「新書本」が上記のように作られたわけだが、現在の新書には、思考や、考察や、ましてや模索、といったテーマの展開も、なかなか見られない。

したがって、新書に乗っかった情報というものが、古くなって不用となると、ふたたび読み直すべき内容は残りわずかで、ほとんど故紙となることが避けられない。たとえば「新古書店」の新書の棚の一部などには、どうしても廃墟感が漂うことになる。

紙媒体である必然性が薄れていることは、このことからもよく分かるわけだが、だからといって電子書籍として、タブレットやPCモニター上でこの新書が戦うとなるとどうなるのか。

ネット上の最新の、そして無料の情報との戦いになる。

こう考えると、新書というものの基地はやはり紙上にあることになる。ではその紙に展開する、物質としての新書の現在どうであろうか。

製本の糊が強固。それはそれで堅牢な本造りのつもりなのかもしれないが、ページが軽くは披かない。机に置いてさえも、手を触れつづけなければ活字を追うことができない。これらはかなり以前からのことだったのだが、近年、印刷機と製本機械(折丁)の精度が一層向上して、文字がページいっぱいいっぱいにまで印刷されている。

したがって、奥の方の行を読もうとすると、より強い力で本をグイと披かなければならないのだが、新書には特有の事情があって、本の背が高い割りに、ノドから小口までが短い(ページの横幅が狭い)。そのため糊の利き目がより強く出る。まさにバネである。

はなしは古くて恐縮だが、岡本太郎の万博の作品に、「座ることを拒否する椅子」があったのと同様に、「読まれることを拒否する新書」。

両手の親指で小口を押さえ続けなければ、ページはすぐ閉じてしまう。手に触れた心地よさが皆無、どころではなく、不快なのである。

大出版社の幹部は、インタヴューを受けると、若年層の活字離れをしばしば嘆く。この事情は新聞社幹部と似たりよったりだが、しかし、手にすること、ページに触れることに魅力がない本を、ずっと造りつづけて今に至っていることに、自覚はあるのだろうか。いつもそう思う。

新書には可能性がある。そういうジャンルなのだ。だが新書文化? というものが今後どこまで寿命を保つか、ということに関しては、その内容もさることながら、流通も含めて書物としての物質的な基礎が大きく影響すると、わたしは考えている。

2016/03/06
若井 朝彦(書籍編集)

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