2016年5月25日水曜日

「江戸時代の小食主義」考

「江戸時代の小食主義」考

つい先だって今月22日のこと、ヤフーニュースのヘッドラインに
【糖質制限 ライス残しに店困惑】
糖質制限ダイエットがブームとなっている影響で、飲食店でのライス残しが多発しているという。従業員からは困惑の声。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160522-01114242-sspa-soci
という記事が出ていた。

『日刊SPA』からの転載。記者は北村篤裕氏。提言としては有益な記事だと思うのだが、やや生煮えの感があるものだった。

あるレストランが、ランチタイムの作業効率、客席の回転を考え、ライスの量は一定にすると決めているのだとすれば、ライス残しはレストランの責任でもあろうからだ。(わたしの若干の経験からしても、これが普通の町場のレストランだと思う。そもそも「定食」という名称は、個々の事情には対応しませんよ、という意味であって、定食=サービスランチの価格は、規格品であるからこそである。)

それでもライスを残す人が多いのが気になって仕方がないというのであれば、お客さんが気軽にライスの量を指定できるシステムをレストラン自身が構築すべきであろうし、それがレストランにとってもあらたなチャンスになるはず。たしかに記事もこのあたりを追っている。

だが取材したレストランが少なかったためなのか、それとも店員の談話の整え方が強引だったためか、記事全体の構成はいくらか弱い。その弱さを補うように、逆に尖った言葉を使っている。
「米粒を残したら、目が潰れる」という言い伝えが日本にあるように、食が豊かでない時代には米は貴重なものだった。
さてここからが今日の本題である。記事にあった、因果めいた言葉

「米粒を残したら、目が潰れる」

は日本のもったいない精神の代表的な言葉かもしれないが、それはどこまで一般的であるといえるのだろうか。

お客として呼ばれたときに、出された食事をきちんと食べなくては失礼だ、という民族もあれば、残さなければ失礼だという民族もある。これはそれぞれの民族の習俗に属することなので、どちらが正しいともいえない。ただ日本は残さないという方向の国であることはたしかだ。

江戸時代の文献をあたっていると、すくなくとも文化文政のころ(19世紀初頭)には、出されたものは平らげないと先方の機嫌を損ないかねないので心配になる、といった内容に遭遇することがある。

だがこれに隣接して、無理をして食べきってもからだにいいことはひとつもない、という主張も現れる。

余計に食べるということは、余計に消化せねばならず、その分まず余計にからだを使う。しかしそれだけでは済まず、余計に体内に入った栄養を代謝するのにさらに余計にからだを使わなくてはならない、というわけである。江戸時代のことであるから、「消化」「代謝」という言葉は使わないが、余分に食べるくらいなら残せという主張はたしかに存在していた。(貝原益軒もこれに近いのだろうが、具体的な観察よりも、むしろ教条的な説明が勝っているようである。)

例をひとつ挙げよう。井上正鐵の『神道唯一問答書』。以下はその中にある「麁食少食」の項目を現代の言葉に置き換えたもの。(原文はこの記事の最後に掲出)
 人というもの、美食大食に耽るようになれば、身体は壊れ、気分も沈みこんでしまう。身辺かならずや貧しくなり、やがて慢心まで生じよう。
 美食大食になじんだ者は、食に困る者を思うこともなく、人の苦しみをどうにかしようともせず、わが身のことだけを考えるからそうなってしまうのだ。
 自分の食事をすこしでも残すことで、人の飢えを救おうとする心がない。田畑を耕す人に感謝しようともしない。
 それに加えて美食大食は、血を重くし、気を弱らせ、怠ける心を起こさせる。
 神の意に背くとはこのことだ。やがて加護も薄くなり、苦労や禍から逃れられなくなるだろう。
 また美食ばかりで働くことをしない者には、癇癖があらはれる。塞ぎ込んだり、また怒りちらしたり、そうかと思えば性欲の虜になる。
 豊かな家に育つて、子供時分より怠惰美食だった者はなおさらだ。
 恐るべきは美食大食であり、絶対に避けるべきなのだ。
美食大食は、徳も体も心も壊す、そう井上正鐵は言っているわけだ。論の運びにやや粗いところがあるが、これは天保13年(≒1842)、身辺の危機に際して、短時間に自分の思想を口述したからであろう。

このごろの小学校ではどうか知らないが、我々のころの給食は全部食べろというもので、残すことは極度に嫌われた。食べ残しが多いということは、たしかにとても悲しいことではあるが、かといって個人個人が、その体と体質に応じた食事が摂ることが容易ではないというのもまた理不尽である。美食を一概に否定することもない。その一方で、小食はまだまだ肯定的に扱われるべきではないかとも思う。

「米粒を残したら、目が潰れる」という言葉が歴史的にどこまでさかのぼれるのかさしあたって不明だが、その社会的語相はかなり統制的で一面的であり、もし使うにしても細心の匙加減が必要な言葉だと、わたしには思われる。
『神道唯一問答書』より「麁食少食」
(1898年の加藤直鉄版に句読点を附し、改行を施した)

 問曰
 其許は常に麁食少食がよろしきとの御教に御座候が、いかゞのゆゑに候や。
 答曰
 美食大食を好み候へば、身體を破り、心はくらくなり、必ず身貧に成行申候て、慢心おこり申候。
 其故は大食美食を好み申候者は、人の食の不足するを思ふ心なく、人の苦を助け救ふの心なく、只々我身の益のみ思ふものなり。
 我一飯をのこして人の飢を救ふの心なく、百姓の労を思ふ心なし。
 又大食美食は気血濁りて、心自ら惰弱になりゆくものなり。
 故に神明の御心に適ひ申さず、加護うすくなり候まゝ、苦労禍絶ずして貧なるものなり。
 又常に美食のみなして身體を働ざるものは、癇症の病強くなりて、塞ぎ又は怒り或は深く色に溺るものなり。
 故に福貴にして身を働さず小児の時より美食をなしたるものは、必ず癇症の病強く色に溺るものなり。
 恐れ慎むべき事なり。
 2016/05/24
 若井 朝彦(書籍編集)

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2016年5月2日月曜日

「画禅の行者としての若冲」考

「画禅の行者としての若冲」考

持ち上げるだけ持ち上げて、しかしその限界に突きあたると、すみやかに貶める、これが現代というものである。勝ち馬と思えばだれもが相乗り。しかし潮目は一瞬にして変わる。

はじめのうちは珍重はするが、その内面、裏面が気に入らないとなると捨てて省ない。衆議院議員にせよ、スポーツ選手にせよ、バラエティの藝能人にせよ、遺伝子工学のプロフェッサーにせよ、グラフィックデザイナーにせよ、教育評論家にせよ、ひとたびこのジェットコースターに乗らされてしまうと、自分の意志で途中下車することはほとんど不可能だ。

この傾向は人間にだけではない。たとえば「恐怖」というものにだって、類例の流行りすたりがあって、消費材みたいに扱われる。新しいものがどんどん上書きしてゆく。これは情報の流通量、流通速度がかつてないほど高まった結果の必然ではあろうが、辟易とすることはなんとも多い。

藝術家も、また過去の藝術家であってもあやうい立場に置かれかねない。4月24日にNHKで放送のあった
「NHKスペシャル・天才絵師 若冲 の謎に迫る」
は、なんともナレーションの「盛り」がすごかった。若冲を持ち上げるというよりも、その若冲をダシにして、近日の展覧会や、自身の番組の値打ちを嵩増しするという点で。

『動植綵絵』については・・・
「生誕300年の今年、公開された」
と、今年だけの公開であるかのごとく。

『信行寺花卉図』については・・・
「200年間、非公開とされてきた秘蔵の天井画の撮影が、今回特別に許された」
とはじめての撮影であるがごとく。

その『花卉図・秋海棠』については・・・
「描かれていたのは日本だけでなく、世界中の花々だった・・・中国の花・秋海棠・・・実物を取り寄せたのか、書物を見たのか、京都の野山では見られなかった外来種の色や形が、正確に描かれていた」
と、まるで秋海棠が、その当時の日本になかったかのごとく。
(ちなみに、若冲よりはるかに先んじて、芭蕉にすでに「秋海棠 西瓜の色に 咲にけり」の一句あり。)

以上は、一時よくTVで放映されていたJAROのCM、その三ヶ条、
「事実と違う」
「まぎらわしい」
「誇大な表現」
に立派に該当していると思う。

このところNHKは若冲でもって数本立てつづけに製作しているので、局の内々では競争状態なのかもしれず、そのために表現が過度に傾いたのであろうか。しかし指摘したような難はあるものの、番組そのものにはやはり得るところがあって、それはそれで結構なことだったのだが、藝術家または藝術よりも解説の方が過熱している状態は、かえって本質への接近を妨げかねない。2000年に行われた、
「若冲没後200年大回顧展」
から今日まで16年間、途切れなく人気が続くとはいえ、商業的には、いよいよその扱いが乱雑になりつつあるのかもしれない。

しかし若冲は、いまのこの熱波が去ったとしても、その独自の価値まで軽んぜられるようにはなるまい。同時代の、別の画家と置き換えることは到底できようもないし、そもそも絵への意識が、他の画家とは隔絶しているからだ。

それにつけ加えて言うと、色彩をともなった若冲は、白描の若冲ともまた別人であろう。それはそれでもちろん美質であるのだが、多くの画家がするように、時に荒く、時にかぼそな筆の軌跡によって、人の意識、無意識に働きかけるということはまったくしない。筆致ではなく、色と質感と面への信仰。

また若冲の余白は、他の日本の画家のような、含意余情の余白でもない。

若冲の彩色と長時間正対していると、描かれているものだけでなく、若冲が丹念に描いていたその時間が、強く意識されてくることがある。微細なものほど濃密な時間を注いで描く。決して楽には描いてはいない。とりわけ、値をつけるための絵ではなかった『動植綵絵』の、途方もない篤実な時間の重み。

これが若冲のいまの人気を底から支えているわけであるし、消費的な扱いをぎりぎりのところで遠ざけているわけであろう。若冲にとってこの絵に対する没入は、おそらく行のようなものだったのだろうと、そうわたしは想像するものだ。

若冲ゆかりの羅漢さま_640

 2016/05/01
 若井 朝彦(書籍編集)

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