2016年7月19日火曜日

「ジンクス」と「自爆」と

「ジンクス」と「自爆」と

ジンクスというものがある。大雑把に言って縁起かつぎのようなものだ。

いくらか呪術めいているし、またいくらか宗教的でもあって、絶対者に祈ることもある。だからといって厳密なものではなく、非宗教でも一向にかまわない。だからジンクスをこしらえるのに、別に聖職者に教えを乞うこともなく、聖典に通じていなくてもよい。要は個人の思いつきだ。

服の色、数字、たべもの、しぐさ、言葉、偶像。あらゆるものがジンクスの素材になろう。ジンクスというものは、基本的に個別のものなのである。

教会の儀礼だって根元はジンクスのようなものであったかもしれない。だが教会は公認してくれないだろう。しかしだからといってジンクスに凝るものが背教者の扱いを受けたり、まあ現代では火あぶりになることもない、たとえば日本や北米や西欧の場合。

呪術と宗教との間で、戯れているといった風情だ。心性としてはフェティシズム、ナルシズムにもいくらか接近しているものかもしれない。

こういったことが人間の余裕、遊びの範囲で納まってくれていれば、害は生じない。まれに「ジンクス通りに行かない!」だとか「縁起が悪い!」といってカンカンに怒る者にも出交わすが、心にゆとりのない人はどこにでもいるもので、そんな人はジンクスと関係ないところでも怒りちらしているにちがいないと思う。

本格的に信心のあるという人からすれば、そんなインスタントなものは一段下に見ているのかもしれないが、こういうことができる世の中というものは決して捨てたものではない。教会や教団の力がなお弱まっている現代、宗教や呪術はよりパーソナルになってきているのではあるまいか、おそらく日本や西欧や北米の場合は。

ところで、この宗教的なものの個別化が、先鋭化した人間を生み出すこともある。

自分で絶対者を想定し、その下命を受けて、綿密に計画を立て、実行の段階では短時間の間に見ず知らずの人間を殺し、そして殺されて死んでゆく。

宗教的な情報が、過去の例の参照が、必要なものが、いずれも容易に得られる現代に、そういう個人がいっそう増えてきた。それは教団でもなく、集団でもなく、部族でもなく、家族でもなく、個人なのだ。

宗教との関係は慣習以上のものではなく、自分に信仰心があるともないとも考えず生きてきて、ジンクスどころか戒律も守ることがなかった者が、何かを契機に変貌し、こういう行動に出る。

わたしの生温い考えではこうだ。宗教とは、人間とその生命を尊重する限りにおいて絶対者の栄光がある。だが彼等はまったくそうではないらしい。

わたしの頭ではこのあたりが一杯一杯だ。たとえば心理学者や精神医学者に、ジンクスに関する専門家がいたとして、そのような人は、このテロリズムの個人化について、どう考えているのだろう。そういう人の見解をぜひ聞きたいと思うのだが。

2016/07/19 若井 朝彦

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2016年7月14日木曜日

今上陛下のニュースに接して

今上陛下のニュースに接して

昨日13日の
「今上陛下生前退位のご意志」
のニュースは、さすがにびっくりした。

だがすぐにもこう思った。陛下のご年齢からも不思議ではないことであるし、皇太子殿下のご年齢が、今上陛下の即位の際と、もはやならんでいる、ということもあるのだろうと。

もちろん、これは感想であるし推測に過ぎないのだが、本日14日の京都新聞でも、識者のコメントとして次の三つが載っている。

その見出しは次の通りである。

「象徴の役割 困難と判断か」 所 功 氏
「慰霊に区切りで決断か」 半藤 一利 氏
「国民とのつながり意識か」 原 武史 氏

いずれにせよ、だれにせよ、推察の範囲はすぐには越えられない。

だが、もし陛下のお考えに
「改元や即位が突然起こることによって、国民の生活が混乱することは避けられないものか」
といったものもあるのだとしたら、これはありがたいことだと思わずにはいられない。

ただ、このニュースに関しては、ご退位をいうよりもむしろご譲位というべきで、その点ではデリケートな問題もなくはないだろう。古いようだが、後水尾帝の退位譲位の場合など、徳川幕府への明確なメッセージを持っていたことがある。

しかし現代の日本では、今上両陛下のご健康ご長寿を念頭に、判断や法の改正を進めてゆけば、大過は生じないのではないかと考える。またこれが、今後にも生ずるであろう諸問題への、解決の一歩となるかもしれない。逃げるべきことではないように思う。

京都は御所、御陵、また泉涌寺を通じて皇室とのつながりは深い。そのために、しばしば御帰りがある。だが、繰り返すようになるが、まず今上両陛下のご健康ご長寿を願って、京都府も京都市も、またしばしば強いアッピールを発する京都商工会議所も、暫時は静かに見守るべきだろうと述べておきたい。

2016/07/14 若井 朝彦

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2016年7月12日火曜日

「氷と贅沢とイノヴェーション」考

「氷と贅沢とイノヴェーション」考

現代の日本、氷というものは、夏でもなんとも簡単に手に入る。

行列のできる店が作る有名なかき氷もあるし、バーテンダーが巧みに砕く純氷といったものもあるわけだが、自宅で冷蔵庫で作る氷や、レストランでサッと出てくる氷水の入ったグラスなど、ほとんどタダに近い。京都の北山にあった氷室から御所宮中へ献氷、といった時代と比べると大違いである。

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(今治を歩いていて、たまたま通りがかったお店。登泉堂さん。あとで友人に聞けば、かき氷の名店だったとのこと。素通りして、もったいないことをしました。旧店舗の写真。)

さて京都は、いま「水無月」の季節である。三角形の白い「ういろう」の上に、甘煮の小豆が散らしてあるといった、どちらかというと素っ気ない感じのお菓子のことである。

この小さなお菓子も、その元をたどれば「氷」に行き着く。夏に宮中に献じられた「氷」がその起り。上生菓子といったものではないが、ちょっとした甘味で、気持ちだけでも暑気払いができるのは、毎年のことながらうれしい。

冬からずっと氷室に保存されてきた氷は(旧暦の)6月1日に御所に運ばれ、聖上これを賞でられていたわけだが、また臣下にも頒つ。この日が「賜氷節」といわれるのはそのためだ。それが次第に、この日に饗宴を催すのが恒例となって、氷をかたどった菓子が作られるようになっていった。

一方で庶民は、そんな禁中の事情は知ってはいるが、氷はまったく無理。高価な砂糖を使った菓子もまだまだ無理ということで、ある時期までは、削った白い餅を氷に見立てていたようだ。

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このテキスト(画像)は17世紀後期の『日次紀事』(愛媛大学図書館HPより)だが、

民 間 食 欠 餅 以 是 比 氷
(この日、民などはかきもちを食べて、これを氷の代わりとする)

ということである。これが甘い水無月にとって代わるまでは、かなりの年月を要したにちがいない。

ところで「かきもち」が「水無月」古い形であったとすれば、小豆なしの「白いういろう」だけを食べていた時期もあったのだろう。もっとも現在は、黒砂糖をつかった「黒水無月」もあれば、緑の「抹茶水無月」もある。本来の氷の白のイメージを離れての展開ということだが、じつはわたしは「黒」が好きである。とくに夏場、汗で逃げたミネラルの補給にもすぐれると思う。

もともとは(くどいようだが陰暦=旧暦の)6月1日の行事。現在では、月末の「夏越の祓」と習合して、6月30日が水無月の日になったようである。どこの和菓子屋の店頭にも、そういうタテ長の案内が貼り出される。たしかに現在の6月1日は、もっぱら衣更の日であろうし、旧暦を現在のグレゴリオ暦に当てはめると、約一ヶ月強うしろにずれるから、この期日の引越しは、和菓子組合の方々にとっても上首尾であるように思う。

氷の価値の低下と比べると、元来は「氷」の代用品だった方の、われらが「水無月」は、歴史の持つ意味も加勢してだが、大健闘というべきか。この氷の物語を有するお菓子は、全国のデパ地下を通じ、またスーパー季節商品としてより広く日本に展開中である。むしろこのお菓子があることで、かつての「氷」の威光を今に伝えているとも言えるだろう。

現代のこの瞬間、氷は、そのままでは贅沢品とは言えない。江戸時代の京都江戸の人だって、冬の氷まで珍重はしなかったであろう。しかしながら「たかが氷です」などとは言うべきではない。今後、上ぶれ、下ぶれ、どんな展開があるかわからない。

ただ人類というものは、珍しいもの、新しいもの、人の持っていないもの、また曰くあるものをどうしても好きになる。いくら最新のイノヴェーションだの何だのといっても、それが商業的である限りは、この人類の性癖から、決して遠いところの出来事ではないのである。

 2016/07/10
 若井 朝彦(書籍編集)

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