2016年12月28日水曜日

PPAPとリズムとナンセンス

PPAPとリズムとナンセンス

いまさらながらだが、PPAPが癖になっている。

それこそ最初のころは、

「ピコ太郎っていったい誰」

だったわけだが、それから何度も聞くうちに、シンプルなように見えて、リズムに仕掛けがあって、飽きるということはなくて、プロデューサーの『古坂氏』とピコ太郎(藝人にとって最高の敬称は敬称抜きで呼ばれることだろうと思うので、敬称抜き)の音の引出しの多彩さと、その多彩さに引きずられないサジ加減の上手さ、ブレンドの巧さに気がつきはじめたのが今。

序奏は4ビート。4小節でひとつのブロック。これが2度くりかえし。単純でありきたり。ちょっと油断させている。

セリフ? が入るともっと単純な2ビート。ところどころでアクセントに変化が入って、途中「pineapple‐pen」で刻みが細かくなって疑似8ビート。

で、最後に見得。「pen‐pineapple‐apple‐pen」で変化をつけた16ビート。おやおやという間に乗せられてしまう。

この「pen‐pineapple‐apple‐pen」がリピートして、最後は小噺のサゲみたいにサッとおしまい。この間約60秒ほど。

割り切ってしまえばこれはナンセンス藝なのだが、ナンセンスほどセンスやリズム感が要るものもない。ギャグに合わせてコケル藝だって微妙な間で成り立っているわけで、タイミングを外したら、舞台客席とも瞬間冷凍である。

ナンセンスには意味も思想もないが(ほとんど同義反復。しかしこれは澤田隆治氏の「ナンセンスには意味はありません」という名言の借用の焼き直し)、意味だらけの世間や生活や職場を、ナンセンスは一瞬真空にしてくれて、無用のこわばりをリセットするのだ。(それゆえ、超独裁国家ではナンセンスは生息が極めてむずかしい。)

しかしこんな風にしてナンセンスというものに意味や意義を求めすぎると、ナンセンスが野暮なハイセンスに化けてしまって、その価値を削いでしまいかねないので、はなしを少しずらすが、わたしの以上の年代の者は、PPAPを聞いて、ああこれはトニー谷だ! と思った人も多いのではあるまいか。

実際検索をかけてみると、とっくに日刊ゲンダイのオンラインが、その線でピコ太郎を扱っている。

『ピコ太郎の原点? 往年の芸人「トニー谷」と数々の共通点』(2016年11月6日付)
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/193321

わずか数ヶ月で、週刊誌に揶揄られるだけピコ太郎が偉い、ということだが、しかしもし、誰かがトニー谷をなぞったとしても、それでサマになるのは滅多にないことだし、ましてそれで爆発的に売れるなんていうことは、ほとんど起こり得ないことだ。やっぱり『古坂氏』とピコ太郎の勝ちなのだ。それに『古坂氏』とピコ太郎には、往年のトニー谷以上のリズムの「持ちネタ」がまだまだあるはずだ。

しかしリズムというものは、とことん強い。「音楽は世界の共通語」とか「音楽は国境を越える」といった成句があるけれども、これらはほとんど本当ではない。ただ、リズムとなると、そんな壁を簡単に越えてゆくことがある。速くて細かくてアクセントが強くて、繰り返しがしつこいと一層効果的で、これは『運命』(ベートーヴェン)だって『ヴァルキューレの騎行』(ワーグナー)、『トルコ行進曲』(モーツァルト)、『イタリア』(メンデルスゾーン)だってそうだ。したがってその分用心も必要で、政治家のワンフレーズだって、シュプレヒコールだってリズムがその良し悪しを決めていたりする。

ところでピコ太郎は暮の紅白に登場。わざわざPPAPを封印することはないだろうが(それはそれでおもしろいかもしれない)、まったく同じヴァージョンではないはずで、どんなリズムのひねりを入れてくるのかと、とても楽しみ。

2016/12/27 若井 朝彦

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2016年12月18日日曜日

當る酉歳・顔見世先斗町興行

當る酉歳・顔見世先斗町興行

暮の京都というと、これは南座の顔見世である。芝居好きが、他の街と較べてとくに多いということもないだろうが、南座は、藝どころの花街と背中合わせの一体で、やはりここに大きな芝居が立つと、四条界隈の空気も変わる。京都市街にとっては、なくてはならぬ、にぎわいの要穴である。

ところが本年年初のこと、南座は休館する旨、経営の松竹から突然広報があった。

「改正耐震改修促進法による耐震診断を実施した結果、安全性向上を図る工事を検討することになりました」
http://www.shochiku.co.jp/notice/play/2016/02/015421.html

という次第。

松竹は、京都での興行の一部を、すでにすこしづつ他の劇場に振り替えはじめていたから、その兆しがなかったわけでもないのだが、やはり驚かされた。しかしわたしが、自宅にいるのと、南座で芝居を見ているのと、どっちが危険かと問われても、どっちもどっちだとしか言えない。鉄筋コンクリートで八十何歳の南座よりも、京都にはもっと老齢の木造住宅も多い。この

「改正耐震改修促進法」
http://www.mlit.go.jp/jutakukentiku/build/jutakukentiku_house_fr_000054.html

というものは、はたして大多数の安心安全を主眼にしてできたものなのかと、わたしにはどうしても疑念が生じてくるのだが。

耐震問題はこの程度にしてはなしは今年の顔見世に。もし南座が休館したとしても顔見世がなくなる、とはだれも夢にも思わない。1990年から翌年にかけて南座が大改修をした際には、祇園甲部歌舞練場に会場を移したという例もすでにある。しかし今回は甲部には持ってゆかれなかったにちがいない(サラリと理由は省きます)。なんと先斗町の歌舞練場に持ってきた。ところが南座約1000席に対して先斗町は約500席しかない。

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その南座だって歌舞伎の小屋としては大きい方とはいえない(現在の歌舞伎座1800、国立劇場1600はもちろんだが、江戸三座にしてからが2000人は入ったものもあったと、森鴎外と三木竹二などが表にして示していたほどだ)。それをもっと小さい劇場で、客席も半減。チケットは値上がりしはしないのだろうか。それより演目はどうなるのか、と芝居好きは皆それぞれに心配したのだが、松竹は、顔見世の昼の部、夜の部の二部制の興行を、一部、二部、三部の三つに切り直して、チケットの単価の高騰を防いだ。また演目についていえば、南座の回り舞台のようなものは先斗町にはないので、装置や転換の大がかりな狂言は避けた。演出についても同様。

以上は松竹の止むを得ぬ措置とはいえ、じつはこのことに期待する向きもあったのだ。小さい小屋の芝居でだったら、どの席からも役者が近い。舞台の役者から見ても客席が近い。芝居もおのずとちがうものになるはずだと。

わたしが見たのは中日を過ぎた頃ということも手伝って、元が人形浄瑠璃の丸本物など、南座での上演とはちがった、独特の間が生れていたように思われ、なんとも言えぬ濃い芝居になっていた。あえて冷静に抽象的に書くけれども、この親密な空間で、あんな所作の芝居をされたら、気持ちがふっと向こう側に持ってゆかれそうになる。

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興業もまだ一週間は続く。またわたしが出かけた日は、NHKのカメラが入っていたようだったから、その収録分も例年通り年末に放送されるだろうが、来年の顔見世は一体どうなるのだろう。

わたしとしては、やはり南座に戻ってもらいたい。しかしそう思う一方で、小さい劇場の密度の高い芝居も捨て難い。実に悩ましい。

また今年の三部制よりも、元の昼夜の二部制の方が、断然腰をすえて楽しめると思う。そうは思うものの、今年の夜の部は、開演が5時45分ということもあって(二部制だったら、普通は4時前後に開演)、そのせいか客席も若返ったようで(ご老齢のファン皆さまには申し訳ありません)、また男性も多く、その男性も一人で来られる方も多く、これはこれで成功していたように見えた。東京の劇場が三部制で回している理由もこのあたりにあるのだろうか。

松竹としては、南座を休ませた上にも、客席数の少ない他の劇場を借りているわけで、その負担も並のものではないだろう。しかし当の松竹からは「安全性向上を図る工事を検討することになりました」に続くお知らせはなく、いま事態がどこまで進展しているかは、まったく以って不明。

歌舞伎座の建て替えのように、高層ビルの膝元に劇場を収めるのは、京都で、ましてあの立地では完全に無理。かといってあの外観を保ったまま耐震化工事ができるものだろうか。劇場の内部構造も絡んで、容易なことではあるまい。松竹にも難問なのかもしれない。

2016/12/17 若井 朝彦

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2016年12月13日火曜日

創作と盗作の間で

創作と盗作の間で

柔軟で、捉えどころがなくて、その姿をどんどん変えてゆくネットというものの上で、途方もないほどの情報がやりとりされて、その情報が大量に複製される一方で、紙による出版というものがその主座から去ろうとしているいま(記録を確定させる力と保存性ではまだまだ捨てたものではないが)、創作と引用と参考と模倣の境界は曖昧になるばかりだ。盗用盗作はもちろん論外だが、オリジナルとはいったい何なのか。

著作権法やその解釈、判例ももちろんあり、おおむねその示すところにしたがって判断して行動しているわけだが、今後も次々とあらわれるであろう事態に、このままでどこまで追いついてゆけるものなのか、心許なささえ感じる。

しかし創作、創造、新発見、というものであっても、先行著作、文化の蓄積と無縁のところからは、まず生まれてくるものではない。オリジナルといっても、その基盤は、もともとが微妙なものなのである。

たとえば現地現場にでかけて、調査し、ルポするという行為であっても、ルポにはルポなりの作法というものがある。無秩序に情報だけを並べても誰も読んだりはしない。

一人の小説家が、かなり奇矯なものを書いたとしても、小説という形式からは簡単に逃れられない。またそれ以前に作家は、文法、正書法、書式、印刷形態、造本というものと、完全に縁を切ることもできない。普通があってこそ、作家作品の突飛が目立つのである。

画家の筆がどんなにあばれても、たいていは方形のカンヴァスか紙の上のことに過ぎない。むしろ四角い境界があるからこそ、画家は暴発も可能だ、というべきであろう。じつはこの点では、プロレスとかなり似通っているのかもしれないが。

現代においても、模倣やすでに確立された形式の中から、部分的な独創や発見や意見が生れてくるのであって、だから模倣や参考や引用を軽々に恥じることはないのだ。(わたしが今書いている内容だって、同様のことは、もちろん多くの人がすでに書いている。何らかの値打ちがあるとしたら、今現在あらためて書いている、という事かもしれない。)

そこでわたしはだいたい次のように考えるようにしている。

まず学術的な著述に関して。

たとえ先行する論考や資料の整理に過ぎないものであっても、有益な視点が加わっているのであれば、それはすでに一個の論考であると。

これは引用の例だが、吉田秀和はその手では名人で、ただし引用文をしばしば勝手に書き換えていた。吉田はその都度、

(×××著・△△訳 『○○○○』から自由な書き換え)

という風に注記するのがつねであったが、それでトラブルがあったとは聞かない。たいていの場合は吉田の添削によって、引用の目的は明解になり、そして引用元のオリジナルも映えたからである。ほとんど引用藝術だったのだ。

そして藝術作品に関して。

たとえ先行する作品からの大幅な模倣であっても、オリジナルの持つ魅力を凌駕していたら(または別の次元で展開していたら)、それはすでに独立した作品であると。

したがって優秀な模倣の下敷きにされてしまったオリジナルは、たいてい情けないことになってしまうものだ。しかしもっと惨めなケースは、魅力に欠ける模倣(盗用)作品が、そこそこヒットしてしまった場合である。この場合は隠れようがない。服部克久氏の『記念樹』がそうだったと思うが、良心の有無以前に、腕前の良し悪しがまぎれもなく顕わになってしまう。もし『記念樹』の方が、(合唱編成と器楽編曲と録音とを含めて)オリジナルより優れた作品になっていたら、あれだけメロディーラインを踏襲していたとしても、「盗用」の声は挙がらなかったにちがいない。いまもわたしはそのように考えている。

この2016年12月現在、槍玉に挙がっているキュレーションなるものにしても、適切に広く集め、見通しのよくなるように並べ、各々の説に注釈を施し、参照すべき事柄にも触れる、といったやり方でやれば、これは立派に人の役に立つものである。誰が集め、何を参考にし、どこから引っ張ってきたかを明示すれば、堂々とした著作物である。

ネット以前、1990年前後までは花形だった『現代用語の基礎知識』にしろ、おおむねそういう形態で編集されていたのであるし、この『現代用語の基礎知識』には、さらに模倣同種の『イミダス』や『知恵蔵』が一時追従していたのも、よく知られる通り。

しかしネット上の情報の増殖は、印刷出版の比ではない。その量と速度のもの凄さに、著作権法はすでに息切れをしているように見える。とはいえ、今回、盗用指南とその粉飾手法まであきらかになった「welq」等の例が示したように、問題があれば法が追いかけるよりも先に、ネット上で放置はされない場合もあるということだ。

今後もいろいろとカラクリのあるメディアは現れるだろうが、広告のサイトであれ、報道であれ、政党や組織のキャンペーンであれ、それがネット上で展開される限りは、何かをこっそりすることは、もはや簡単にはできなくなってはいる。

2016/12/12 若井 朝彦

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