2017年6月19日月曜日

JR西・元3社長の裁判の後で

2005年4月に発生の、JR福知山線塚口・尼崎駅間の事故の責任を問うて強制起訴されていた、JR西日本の歴代3社長、井手氏、南谷氏、垣内氏の裁判がすべて終結した。

6月14日の新聞報道などの通り、3氏とも無罪であった。

法理からすれば、これは当然のことだったろうとわたしは思う。事故予見性を広義に解釈した起訴自体も、果たして妥当だったのか、しばしば問われているほどだ。だが法律を離れた見地から、この3人に責任があったのか、それともなかったのか。これはまだ決着がついているとは言い難い。今後のJR西日本の企業としての健全性、また、日本の交通における安全をより確かにするためには、これは積極的に解明すべき問題で、むしろ裁判が済んだあとの、これからこそが大切なのである。

その2005年の事故の当日のことはいまでもよく覚えている。(またその直前に、大阪福島の踏切で、遮断機が開放のまま列車が通過したということがあったが、これもまた忘れてはいない。)当日は、事故直後の午前から、流れてくるネットのニュースをずっと見ていた。更新のたび、どんどん被害が大きくなっていった。そしてJR西日本が抱える問題もまた一斉に噴きだしたのである。

労務管理の問題、広報の問題(JR西日本は独自の広告代理店を持っている)、現場路線のカーブの半径問題、過密なダイヤ、幹部間における人事対立。しかしわたしはこれに加えて、それ以前の事故の対応が、この事故にも影響しているように感じていた。

JR西日本は、ほとんどそっくりの構造の事故と、それまでに2度は関係していたのである。それはヒューマンエラーの悪しき結晶に見えるものだった。

まず一つ目は1991年の信楽高原鐵道の事故である。これはJR西日本の線路上で起こったのではなく、信楽に乗り入れたJRの車両と運転士が関係して発生したものである。主因は信楽にあったが、この両社の関係は、人的にいっても、運行の面でも、信号の設置においても、ほとんどJR西日本が主、信楽が従といってもよいものだっただけに、これをJR西日本の事故として考察することに、わたしは躊躇しない。
(参考ファイル)
「信楽高原鐵道での列車正面衝突」
www.sozogaku.com/fkd/hf/HA0000607.pdf

二つ目は2002年のJR西日本の東海道線塚本・尼崎間の事故である。この日は夕刻になって線路に侵入事件があり、ケガ人が発生していた。そのケガ人を救急士が収用しようとしている最中に、列車が徐行せずにここに差しかかり、人命が損なわれたのだった。
(参考ファイル)
「JR東海道線で救急隊員轢死」
http://www.sozogaku.com/fkd/cf/CZ0200724.html

そして三つ目が2005年の福知山線である。

この事故の原因と経過には共通点があり、それは

・ダイヤの混乱が最初に発生し
・重圧のために無理なダイヤ回復が計られ
・連絡の混乱が放置されたまま
・見込みによる運転が事故を起こす

という構造。やや具体的に説明すると、

・信楽の事故では、当日に出張してきた運輸省関係者を貴生川で待たせており
・東海道線の事故では、その数時間前まで、近接区間でのトラブルのため、それにともなう運転見合わせと、回復後の大幅なダイヤの乱れが生じており
・福知山線の事故では、ダイヤの欠陥による尼崎駅での乗り継ぎ接続に、運転士が慢性的に追われていた

このような遅延要因に

・信楽では、対向列車の単線区間への進入を阻止すべく、信楽の社員が車で現地に急行中であり
・東海道線ではケガ人収容の区間を最徐行で通過した列車からの情報が、後続の列車に正しく伝わらず
・福知山線では、列車指令が無線を通じて、運転中の運転士に、直前に発生したミスの内容を、ずっと問い続ける

といった状況が発生していた。

このようにJR西日本は、精神的に追い詰められた担当者が何にどう反応して動くのか、という、過去の類例を学ぶ機会はあったのである。ところがそれを貴重な経験とするどころか、逆に人事面では理不尽な締め付けを強めていたほどであった。それがこの事故を契機に鮮明になったのは、よく知られるとおりである。

もちろん自己の負の面を学びさえすれば、次の事故を予防できるというものではない。しかしJR西日本はそもそも信楽の事故を、自身の問題と捉えていなかったのである。これは決定的だった。

(参考ファイル)に示した「信楽高原鐵道での列車正面衝突」や「JR東海道線で救急隊員轢死」には、事故前段の状況である「監督官庁の関係者が乗るはずの列車が遅れている」や「混乱していたダイヤがやっと回復したばかり」といった要素は説明されてはいないのだが、その前者に見える
JR西日本が方向優先てこを設置したことを警察に隠したり、事故以前の何回かの赤信号出発の問題を信楽高原鐵道に指導しなかったり、という責任逃れをやり、民事の裁判で負けて責任を認めた。この事故の責任逃れの体質が、小さな危険を大きくなる前に摘み取とることをしないようになり、JR西日本福知山線の事故の遠因となったのかもしれない。
という指摘は重要である。

しかし新聞報道でも明らかになっていたが、JR西日本が、他社である信楽の信号に、方向優先テコを設置していた事実の組織的な隠蔽は、上記のようになまなかなものではなく、きわめて悪質なものであった。この捜査に当たっていたのはもちろん滋賀県警だが、事故に遭った車両には京阪神方面からの乗客もすくなくはない。またJR西日本の本社は大阪である。そういったこともあってだろうが、近畿圏の警察は、JR西日本の組織的な捜査の壁に挑んでいた滋賀県警の持つ情報を、かなり共有していたフシがある。

組織的な締付けによる、不都合な事実の隠蔽と、責任からの逃避の経験は、根深いものであった。2005年に福知山線で事故が発生した際、JR西日本は、事故車内に閉じ込められたケガ人の救出もままならない当日の内に、独自の調査として、置石が原因であると発表して責任を転嫁しようとした。近傍のレール上に破砕痕があったのは確かなのだが、これは脱線によってできたものであって、この説自体は虚妄であった。そのため、その後JR西日本への指弾は容易にやまなかった。すぐにも信楽の事故とその後の対応が思い出された。井手氏、南谷氏、垣内氏の3氏は、そういった組織を強化し、また維持したのだという不名誉を負うほかない。わたしはそう思うものだ。

兵庫県警は、攻撃的にも見える捜査を続けたし、あきらかに幹部の起訴も目指していた。その背景には、滋賀県警の無念を引き継いだ面もまたあったのではないだろうか。信楽の事故の未消化は、おそらく捜査にも影響していた。兵庫県警の粘り強い捜査が、結果として3人の元社長の強制起訴の下地を作ったのである。

ではJR西日本はその後どうなったか。わたしはかなりの変化があったと見ている。それは以前には想像もつかなかったことが起こっているからである。

一例は2014年10月13日の午後のことである。この日は台風の通過が予報されていたのだが、その前日の12日の内にも、JR西日本は関係路線の運休を決定して広報し、翌日それを実行に移した。幸いなことに台風の被害は大きいものではなく、そのため運休の是非も問われたし、運休当日の13日は祝日の月曜でもあったから、休日の運行よりも、翌平日の朝の通勤時間帯の運行確保がまず優先されたという事情もあったのだろう。しかしこれは、非難を浴びても安全を重んじる取り組みであったと思う。

あともう一つは、かなり話題にもなったものだが、JR西日本では2016年4月以降、それが人為的なものであっても、故意ではないミス、エラーに関しては、原則として懲戒の対象としない、という決定である。

これはなによりミス、エラーの報告がないがしろになることを嫌ってのことであるはずで、この措置があってもなお隠蔽があった場合にまで懲戒を免除することはないだろうが、まったく果敢な決定だと思う。台風による運休の事前決定もそうであったように、この転換も試みである。負の側面が出ないとは限らない。しかしこういった決定は、社内にも社外にも、その社の方針を、明瞭に伝えずにはおかない。

こういったことも3氏の裁判の途中で起こったことである。その裁判がJR西日本の幹部の念頭にいつもあって、なんとしてでも事故を減らす企業体質へ移行しようという、希求の原動力となっていたのだとしたら、やや強引に見えた問責の起訴も、控訴も、上告も、やはり意味があったのだと言わなければならないだろう。

2017/06/18 若井 朝彦
JR西・元3社長の裁判の後で

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2017年6月13日火曜日

都市の品位が損なわれる時

昨年夏、今上陛下のご意向が報道されてから、ずっと懸念だったのは、京都市長や京都商工会議所あたりが余計なことを言い出さなければよいが、ということだった。下にも記した通りである。

(2016年07月14日)

しかしご譲位の道筋が付くや否や、早速それが出た。
「上皇」京都滞在、国に要望へ 市長、特例法成立で
http://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20170612000067

「上皇となる天皇陛下にできるだけ長く京都に滞在していただくことは、以前から念願している。具体的にどういう可能性があるのかを専門家の意見も聞きながら、客観的に調査し、できるだけ早く国に要望したい」と述べた。

このニュースは、yahooでも暫時ヘッドライン扱いである。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170612-00000017-kyt-l26

こういったことは、そもそも自治体が国に訴えるようなことではなかろう。もし願うにしても、そう言えるだけの都市、そのように主張しても当然、と周囲が認める都市になってからのことであろう。

いまの京都市長にその資格があるとは思われない。文化庁の京都移転についても、強硬に要請を繰りかえして決定を得たわけだが、それは地方分権を旗印にしたものであって、国益を勘案してのことではなかったはずである。まるで文化財を人質にとったような物言いだったとわたしは思うものだ。

ならば文化庁を京都に求めた京都市は、みずからの文化遺産を充分に保全してきただろうか。欲しかったのは「文化」ではなく「庁」だけだったと言われて仕方あるまい。

リニア新幹線に関しても、いまだルート変更に執心で、独自の試算による経済効果を謳っている。一転こちらは国益目線だ。しかし文化庁にもリニアにも共通しているのは、みずからは出捐したくないという態度だ。これではまわりの府県から好ましく思われるわけがない。

京都市が、歴史や伝統の美名によって何かを獲得するのは、たしかに効果的な行政であるかもしれない。だがそれと引き換えに、この市は品位を失う。品位品格を失うだけならまだしも、みずからが主体として働かない僥倖的、タナボタ式の自治体運営は、町と住民の気概をも殺ぐ。

2017/06/12 若井 朝彦
都市の品位が損なわれる時

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2017年6月11日日曜日

「湿邪」について

数日前のこと、6月8日のyahooニュースに

「体のだるさや頭痛、むくみ… 梅雨が原因の体調不良「湿邪」とは」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170608-00010002-abema-soci

がアップされていた。梅雨時分のいま、まったく気の利いた配信だった。

この湿邪(シツジャ)という状態は、目立った熱が出ることもなく、咳をするわけでもなく、お腹をこわすほどにもならず、痛みといったものもまずないので見過ごされやすい。しかしただの疲れだけでないことはわかる。それだけに悩ましい。万病の元と言っては大げさだが、風邪と同じように生活も気分も乱してしまう。

しかし湿邪という概念とその内容を知っていれば、早目に手が打てるし、予防線も張れるというものだ。

ただ記事にあった、

梅雨のジメジメは私たちの体調にも影響を与える。その影響は東洋医学で湿邪(しつじゃ)と呼ばれている。東洋医学に詳しい千代田漢方内科クリニックの信川益明先生は、「湿邪とは、体の余分な水分によって体の不調が生じる症状。人が長時間湿度の高いところにいると発汗作用がうまくいかず、冷えという症状が起こることが考えられている」と説明する。

といった説明は、防御するにはちょっと不十分かもしれない。わたしが湿邪という言葉を知ったのは40年ほど昔のことで、東洋医学を含む「透派の五術」を日本に伝えた(故)佐藤六龍氏の著書を読んでいた時のことだった。その内容とその後の私見を加えていうと、「梅雨のジメジメ」が「体調にも影響を与える」というよりは、

「汗をかいた後、(周囲の温度変化、冷房などによって)その蒸発に手間取ると、体表面の温度が過度に下がり、汗腺が締まったままになることがある。すると以後の発汗を必要以上に抑制してしまう状況が生ずる」

という方が、よりわかりやすいだろうと思う。「湿邪」の主体は、梅雨時のジメジメではなくて、皮膚の方なのだ。

そして汗腺が締まった状態にもいくつかの分類が可能だと思う。まず単純に体が冷えて一時的にそうなった場合。わたしなら、からだをすこし温めてやる。また若干余分の水分とミネラルを摂取して発汗を促す。これでだいたいからだも軽くなる。

しかし本当に皮膚が疲労していて汗腺が働かない場合もある。日焼けで皮膚が傷んだ時にも似たことが起こるのだが、むくみも出る。皮膚にとどまらず、からだそのものが疲労している場合もあるだろう。風邪とおなじように栄養と休養をとるほかない。こういった状況で周囲の温度が上がったり、運動したりすると、逆に軽度の熱中症にもなりかねない。東洋医学的な解決ではなくて、医療機関での受診が必要かもしれない。

また検索をかけて見ると、tenki.jpにも湿邪の記事があった。(2015年7月8日)

梅雨の「湿邪」。体がだるくて重いのは、湿気が溜まっているせいかもしれません
http://www.tenki.jp/suppl/usagida/2015/07/08/4491.html

水は人間になくてはならないものですが、湿度の高すぎるところに長時間いると発汗がうまくおこなわれず、余分な水分が排出できなくなってしまいます。東洋医学では、『湿邪(水の邪気)』が体内のいろいろな場所に溜まって「冷え」を起こすと考えられています。冷えると、血液の循環が滞って代謝が悪くなり、 汗や尿で水分をしっかり排出できません。むくみも起こりやすくなるのですね。

夏でもシャワーですませないで湯船に浸かるのがお勧めです。ぬるめの半身浴はリラックス効果で自律神経を整え、ストレスや痛みを軽減します。

こちらの記事の方が、先日yahooが採用した記事よりも詳細だと思うが、わたしも半身浴はよく試みる。とくに上半身を濡らさずに湯船に入ると効果的だと思う。というのも、上半身が濡れていると、発汗がなかなかはじまらず、疲れが抜けにくいからである。下半身で温められた血液が上半身に伝わり、血行のよくなった皮膚が発汗をはじめると、それまでのからだや気分の重さが、ウソのように感じられるものだ。

2017/06/11 若井 朝彦
「湿邪」について

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2017年6月9日金曜日

音楽著作権の重層性

市井の音楽教室での、練習楽曲の使用に著作権料が発生するか否か。徴収側(JASRAC)と、それを否定する教室側(その先頭に立つのはヤマハ音楽振興会)との争いも、いよいよ本番を迎えた。6月7日配信の時事通信のネットニュースによると
日本音楽著作権協会(JASRAC)は7日、東京都内で記者会見を開き、ピアノなどの音楽教室での演奏について、来年1月から著作権料の徴収を始めると正式に発表した。 同日、文化庁に使用料規定を届け出た。
ということだ。これに先んずる形でヤマハ側はJASRACに対し、支払義務不存在の確認訴訟を予告している。どちらが勝つにしても、決着は法廷を経て、ということになる。

実際のところ、教室では著作物である楽曲の楽譜を使用し、金銭の授受が発生している。教室が営利事業として運営されているという面からすれば、法廷においてはJASRACに分があるだろう。そうわたしは思う。

ではJASRACがあきらかに正当なのかといえば、それは単純にそうではない。音楽著作権、音楽で発生する権利、またその扱いの慣習というものは、一筋縄で括れるというものではないからだ。

まず音楽著作権の代表的なものである作曲家による著作権というものがある。曲から発生する著作権である。しかしそれだけでは音楽にはならない。実際に音にする演奏家が必要である。しかし演奏家の権利は、著作権より一段低いものとして見做されており、著作隣接権として扱われている。(とはいえクラシック音楽の著作権で目立った稼ぎというものは、おおよそこの部分によるものだ。)

著作隣接権の保護は、作曲による著作権よりももはるかに短い。日本の場合、作曲の著作権は作者の没後50年にも及ぶが(ヨーロッパは70年標準)、演奏の場合は「発表後」50年である。没後30年に満たないヘルベルト フォン カラヤンの場合も、そのレコード録音の枢要なものは、かなりの権利が消滅している。

したがって長命な指揮者の場合は存命中に一部の権利が切れはじめる。たとえば小澤征爾の場合も、シカゴ響との60年代レコーディングなどは、もうあと数年で、日本のだれもが(商業利用をも含めて)利用できるようになる。(まったくはなしは今日の主題から外れるが、こういったことは、加寿の祝いのようにとらえてもいいのではないだろうか。)

また逆に、作曲の著作権が切れても、楽譜を厳重に管理し、演奏のたびに貸し出して使用料を確保するという手段もある。この楽譜というものは扱いがむずかしいところがあり、17世紀の作曲家の古い作品の「校訂」の作業(編曲ではない)に著作権が発生してしまったことがある。
(これについては以下を参照ください。この構図は、JASRACとヤマハの対立の構図に似ていなくもない。)

wikipediaから「ハイペリオン・2004年の訴訟」の項目

そして今回問題となった練習での楽曲の扱いである。これだって単純ではない。「使用料は必要ない。使用する楽譜の購入で充分」という解釈もあることはある。じつはわたしの意見もこれに近い。ただしこれは法の解釈ではなくて、そうあるのが音楽が栄えるためには自然であろう、という見地からである。

練習というものは、そもそも演奏ではないと思う。頻繁に止めては、同じ個所を繰りかえすのが普通だからである。なにかの機会に、オーケストラの練習に立ち会えることがあるが、それが「通し演奏」を前提とした練習(ゲネプロ)であっても、指揮者は必要を感じて演奏を止めることがある。

音楽はなにより「ひとつづき」のものだ。途中で途切れたものは楽曲ではない。感情が醒めるからである。「止まるかも知れない」と思って聞く音楽は音楽演奏の本来の姿ではない。企業会計では、仕掛品も仕分けの上で資産に繰り入れるが、練習というものは「演奏という資産」には、ほとんど含められないとわたしは考える。

オーケストラの場合は練習時間の配分が難しい。「この指揮者は何を考えているのか」ということがその配分から判ることもある。またピアニストが練習でどこを繰りかえして念を押すのか。ヴァイオリニストがどんな調律をしているのか。こういったことは知的には面白い。だが練習は本来の音楽演奏ではない。法廷ではこのような解釈はまず出てこないだろうが、練習と演奏の境界については当然俎上に載せられることだろう。今回の件ではこれは避けられない。

ところで時事通信の記事は
JASRAC会長で作詞家のいではく氏(75)は「クリエイターに対する敬意を持ってもらいたい」と説明。理事で作曲家の渡辺俊幸氏(62)は「著作権の大切さを理解してほしい。訴訟は避け、話し合いで解決したい」と語った。
と結んでいる。これは記者がまとめた短信であるから、そのままストレートには受けとめられない。関係者はこの他にもいっぱいしゃべっているはずだ。しかしこの通りだとすると、これはすこし妙だ。

ある楽曲が練習に使用されているとすると、それはその時点ですでに敬意が払われているといってよい。プライドはプライド、お金はお金として、率直に「われわれの作品を勝手に使用して稼ぐな! タダ働きさせるつもりか!」と言ってもらった方が判りやすいというものだ。またJASRACは、むしろ訴訟になることを歓迎すべきではないだろうか。たとえ和解になったとしても、その過程はほぼ公になるのだから。

時間はかかるだろうが、今後の道筋が付くことからすれば、今回の紛争は悪いことばかりではない。ひとからげ一律の徴収ではなくて、練習用に価格設定された楽譜の厳格な購入という結着でもいいはずである。とくに楽譜の電子化が進むであろうことを考えれば(楽譜はなかなか紙から離れられないけれども)、いずれはそういった管理も容易になる。

せっかくの機会、ぜひ将来を織り込んだ解決を望みたいものである。

2017/06/08 若井 朝彦
音楽著作権の重層性

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2017年5月22日月曜日

内山 直 著『幸せの確率』

ちょっと風変わりな本の書評を。

内山 直 著『幸せの確率』(2017・セルバ出版)

「風変わり」といっても、著者はきっとお怒りにはならないだろうと思う。たしかに現在の日本に、著者が持っているような考え方や生き方は普及していないのだから。それだけにこの本には、2017年の日本に生まれてきた意味が十分にあったということになる。

しかし風変わりと言うよりもユニークな本といった方がいいかもしれない。いったいどのジャンルに入れてよいのかが、よくわからない本。わたしも何度か読み返していて、その都度いろんな読み方ができることを発見できて楽しい。

さて、そもそもこのタイトル

『幸せの確率』

にしてからが、これだけではどんな本なのか、皆目わからないようにできている。サブタイトルの

『あなたにもできる!アーリーリタイアのすすめ』

ここまできて、やっとどういう本かおぼろげながらも見当がついてくる。著者内山氏は現在40代後半の男性。いまから一年とすこし前に、みずから経営していた医院を退いてアーリーリタイアした皮膚科の元医師。大雑把に言うと、そのアーリーリタイアに至る過程と、その準備と、その理論が述べられている。そういった意味では、ノウハウ本であり、著者みずからの小伝であるともいえる。

しかしこの本、「こういった方法を選択実行すればアーリーリタイアができるのですよ」という本かというと、ほとんどそうではない。たしかにそういう部分も多いのだが、やや強引に切り取って引用すると、以下のような幸福についての議論がたくさん見つかる。
・・・たとえあなたが自主性や愛情に溢れた素晴らしい人だとしても、それを他人が簡単にうかがい知ることはできませんが、もし、高価なブランドの品をいくつも持っていたら、金回りがいいようだと容易に判断してくれることでしょう。
つまり、非地位財よりも地位財のほうが、客観的評価を得やすい分、異性の獲得に有利に働くわけです。極端に言えば、あなたの遺伝子(本能と言ってもいいでしょう)が欲しているのは、あなたがある程度生き延びることと、子孫を残すことであって、あなたの生涯が幸せかどうかなど、知ったことではないのです。
・・・・・・45p
現代の日常生活の中で、人と知り合って最初に聞かれるのは、多くの場合、仕事の内容でしょう。名前よりも先に聞かれることさえあるくらいです。そのような生活環境にいれば、職種や地位に過度のアイデンティティを置いてしまう気持ちもわかります。
しかし、逆にその重要さゆえ、仕事は真の幸福を見誤らせる、危険な落とし穴になりかねないのです。
・・・・・・63p
そして中年の危機にある人にとっては、示唆に満ちた散文詩。
2014年、4月のある夜。
夢の中で私は、65歳の老人になっていて、明日の朝はもう目覚めることがないことを、すなわち、その夜眠りについてから翌朝までの、どこかの時点で死んでいくことを、どういうわけか、はっきりと自覚していた。
・・・・・・12p
また、そうは思っていても、著名人にはなかなか口にできないような内容の経済的社会論。
著者本人(評者註:ピケティのこと)を含め、多くの人は、弱者に逆転のチャンスがないなんてアンフェアだ、という感想をもつことでしょう。しかし、そこで思考停止に陥り、資産家の子供に生まれなかった我が身の不運を嘆いてもしかたがありません。
もしピケティの予言するとおり、r>gの状態が今後も続くと思うのであれば、自分自身の努力によって、さっさとrの側、すなわち所有する資本の収益で潤う側に回ってしまえばいいのです。
・・・・・・34p
比較的若い年齢でのアーリーリタイアでは、不確定要素の多い年金はあまり当てにせず、予期せぬ事態に備えたのりしろにするというくらいの気概がないと、経済的な不安を払しょくするのが難しくなります。
・・・・・・155p
あるいは投資活動というものについて、リスク回避が第一ながらも、思考としてはいたって攻略的な見通し。
資本主義が崩壊する可能性が無視できないと考えるのであれば、ある程度のタイミング売買は、より多くの利益を追求するためではなく、そのような局面でも最低限の利益を得るために必要な、手堅い投資行動ということになるかもしれないのです。
・・・・・・109p
ひっくるめて言えば、「心」と「資産」をどうやって確立させ、その上で、みずからの本心と向き合うだけの余裕がどれだけ大事か、ということを訴えている。そのようにわたしは受けとめた。「心」と「資産」のどちらかだけの本なら、信じられないほどたくさん出版されている。しかし両方の本はどれだけあるだろう。

また、現代の日本人にとって経済的独立とは何か、精神的独立とは何か、という問いを投げかけている本だとも言える。こういった見方からすれば、「アーリーリタイアなど考えたことはない」という人にこそ、この本は効能があるのかもしれない。

しみじみと伝わってくるのは、著者にとってはアーリーリタイアがゴールではなくて、スタートだった、ということだ。居所はほとんど動かれないまでも、後半生、何か漫遊か冒険にでも出発するような。

現在一家は5人のご家族だという。その5人はそれぞれ年々歳を重ねてゆく。そうする内に、また著者は何かを考えて何かを変革し、また著作に励むのではあるまいか。現在進行形のブログとともに、なかなか目が離せないのである。

(ところでこのページには、アマゾンの小窓を貼りませんでした。もしよろしければ、著者のブログ、たとえば、
http://earlyretire47.blog.fc2.com/blog-entry-137.html
あたりなどを覗いてみて、面白そうだ、と思われたのなら、そのページにある小窓からの購入はどうでしょうか。著者内山さんとはまったく面識がありませんが、著書に触れているあいだに、ちょっと応援させていただきたくなりました。)



2017/05/21 若井 朝彦
内山 直 著『幸せの確率』

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2017年4月12日水曜日

わたしの新京都20景(4)

わたしの新京都20景(3)
からのつづき・・・

16/20 月

中国ほどではないにしても、日本においても陰暦はまだまだ消滅しそうにない。日程を太陽暦に移行した上に、さらに週末土日に再度移行させられた祭事も少なからずだが、今日が陰暦の何月何日かを知っていると、ふといにしえの京都に出会うことがある。見事な月は仲秋の専売ではない。旅行前の下調べのひと手間が、同行者のサプライズを誘う。

17/20 御所

御所は上京の中心にある。宮内庁管轄の御所と環境省管轄の京都御苑からなり、近年外務省管轄の京都迎賓館がここに割って入った。この迎賓館について、すくなくとも泉下の孝明帝はお喜びではあるまい。御所はその総称であって、京都市民にとってはまず公園であり、通勤通学路であり、ときに遠い皇室をしのぶところでもある。

18/20 仏

意外なことだが、CNNの20選の中には、たった1枚の仏像もなかった。悦楽空間としての京都には仏像は無用だ、ということなのだろうか。それとも単に無関心だったのか。もっとも名立たる仏像の画像を商用利用するとなると、結構な費用を請求される。おそらくCNNは節約をしたのだと思うが、しかし町内にはお地蔵さんがあり、また野に置かれた石仏も京都には無数にあって、これこそが住民庶民の信心の対象。そして写真可である。

19/20 雪

春夏秋冬の最高気温、最低気温を比べると、京都も大阪もそれほどちがいがない。ただ冬の午前の冷え具合はきびしい。盆地の底に三山から滑り落ちてきた冷気が溜り、最高気温の出現が午後遅くになるからだ。しかし雪は滅多に降らない。雪がほとんどない、風情のない、寒いだけの冬になることも近年多い。

20/20 四条

京都で繁華街というと、それは河原町のことであった。しかしバブル崩壊後、金融街の烏丸が整理されて、おしゃれな新規出店はそっちに増えた。しかししばらくすると河原町への出店のハードルは下がりはじめ、このごろではこちらに面白い店がチラホラだ。河原町と烏丸、そのシーソーゲームを東西で結ぶ四条の現状はどうなのか。わざわざ交通流入を制限する改造をやったことと、大丸、高島屋といったデパートが振るわないために、現在いささか貧血状態のようだ。

2017/04/11 若井 朝彦

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2017年4月11日火曜日

わたしの新京都20景(3)

わたしの新京都20景(2)
からのつづき・・・

11/20 世界遺産

CNNが選んだ20枚の写真のうち、ユネスコ登録世界文化遺産からは「金閣寺」「東寺」「清水寺」「醍醐寺」の4つが入選。その記事においても「ここはユネスコ登録済み」「もちろん世界遺産だ」と抜かりなく強調。だが京滋にある17もの世界文化遺産、ほんとうに大切にされているところといったらどこだろう。目先の利に迷って遺産の食いつぶし、といった事例も少なくないのだ。(この写真のみネガフィルムより)

12/20 神像

明治に神仏が分離されたとはいえ、「神も仏も」といった古来の習俗は衰えてはいない。しかし新しい神像仏像も造られて、氏子や檀家の信仰を集める。新しいものが造られることで、古いものにもしかるべき立ち位置が与えられる。

13/20 大学

京都の人口構成の中に一定の割合を占める大学生。マンモス化の過程で、学舎は郊外へ、他県へと拡散したが、近年は都心回帰が顕著。木造町家を借上げるなどし、サテライト教室にするといった例も見られる。北陸新幹線金沢開業以来、京都の大学も危機感が増し、工夫や趣向、また生涯学習の取込みに躍起だ。

14/20 発掘

原初の平安京とはいったいどんなものだったのか。18世紀に藤貞幹(1732-97)と裏松固禅(1736-1804)の名コンビが模索をはじめて以来、今日にいたるまで考古的探究には途切れがない。無用に見えても実に大事な学問ではあるが、資金、人材が今後も十分に供給されるかどうかは心許ない。たいていの場合、発掘現場は工事現場。現状は保存されず資料のみが残る。その多量の資料をAIが読込んで、劃期的な解析結果を京都人に突きつける日が、やがてやってくるかもしれない。

15/20 鳥獣

京都は公園の少ない都市である。たが社寺が緑地を有しており、これでなんとかバランスが保たれている。鳥たちが頼りにしているのは、その飛び飛びにある樹冠や池。しかし150万に近い人口を擁しながら、これほどまでに山に囲まれ、また山に近い都市が他にあるだろうか。ときに珍しい獣が街中に現れるのはそのためだ。

2017/04/10 若井 朝彦

わたしの新京都20景(4)
につづきます・・・

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2017年4月10日月曜日

わたしの新京都20景(2)

わたしの新京都20景(1)
からのつづき・・・

6/20 八寸

わたしはフードポルノは好まない。しかし京料理の八寸だけはその自制をみずから破る。かならず季節のものを用い、小さい器に巧みに盛り込み、しかし余白はかならず残しておく。あたかも食材と食器による俳句。栄養学ともガストロノミーともまた違う何か。

7/20 家

数寄屋造りの町家、商家の町家といろいろあるが、ほっとするのは、こじんまりした職人町の木造、また郊外の木造。路地やら家の前で野菜の無人販売をしている所はまだまだ多い。

8/20 小路

あるときのこと、タクシードライバーが問わず語りに話しはじめた。「京都にやって来て思ったことは、細い道にもいつも人が歩いている。夜でも多い。だから京都には犯罪が少ない」のだと。だからそうなのかはわたしにもよくわからない。だが、他の都市に比べてということでなら、職と住も、食と住も、街中で接近していることはたしかだ。

9/20 近代現代建築

社寺仏閣古建築の多い京都ではあるが、新しくて珍しいもの、近未来的なものもまた少なからず。この重層性が京都の肝かもしれない。肯定的にいえば懐が深い。しかしおそらく本当の所は、自分にとってよく判らないものは、あえて関知干渉せず。

10/20 鉾町

京都の中心部、祇園祭の鉾町も、あるときまではドーナツ化が止まらなかった。だが最近は高層住宅が増え、人口の減少は底を打ったようだ。新しい住民が祭に加わる例も多い。観光化にも歯止めがかかり、催事から歳事へ。歳事から祭事へという流れが見える。

2017/04/09 若井 朝彦

わたしの新京都20景(3)
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2017年4月8日土曜日

わたしの新京都20景(1)

先日、4月3日のこと、アゴラに安田佐和子さんのブログ

MY BIG APPLE – NEW YORK –

から
『京都は、評判に違わぬ美しい街なのか?CNNが検証』

が転載されていた。楽しく拝見いたしました。そこで安田さんが紹介していたCNNのWEBは、

Does Kyoto's beauty match the buzz? Look and decide
 http://edition.cnn.com/2016/10/26/travel/kyoto-beautiful-scenes/index.html

だったのだが、そのページに掲載されていた20枚の写真とその写真へのコメントに、しばらく見入ってしまった。そして思ったのは、

「わたしだったらどんな20枚になるだろう」

コンデジを使いはじめて10年とすこし。この間、旅行らしい旅行はせずに過ごしたので、手持ちの画像といえばほとんどが京都。この数日、古いフォルダを順に開いて、そこからためしに20枚を選んでみた。京都症候群のCNN記者のセンスも意識しつつコメントを附し、何回かに分けて紹介してみたい。洋の東西どちらも、まったく物騒な時節ではあるが、無用の用、こんな軽い話題もまた何かの足しになるかもしれません。

1/20 盆地と三山

京都は北山東山西山に囲まれた盆地。東山からの日の出、西山への日の入り、時として美しい光景に出会える。ただそれは、ある程度の高さがあって見晴らし良好のビルから。しかし困ったことに、そんなビルはたいていの場合、周囲の景観を阻害している。

2/20 京都駅ビル

CNNの選んだ20枚のうち、5枚が京都駅附近から入選。『京都タワー』からが2、『東寺五重の塔』『京都駅ビル』『鉄道博物館』が各1。海外からの旅行者にとって、新幹線や関空特急からも見える五重の塔、京都駅と京都タワーが、期待の大事な入り口なのかもしれない。駅ビルそのものはバタ臭いが、周囲にはそれを緩和するゾーン、また近現代ビル群とは異質なゾーンもまた多い。

3/20 嵐電とバス

京都で移動といえばバス。それに愉しい乗り物と言えば嵐電で、若干だが併用軌道(市電区間)も残っている。近年、観光客でバスが混みすぎていて、京都市は料金体系をいじって地下鉄に誘導できないものかと模索中があるが、バスから見える景色がすでに観光なのだから仕方がない。

4/20 高野川のさくら

京都市街中心部は高度老齢都市。あまり外に出られなくなってしまった老人もさくらは別。やはり心が弾むようだ。車いすを押してもらって、近くの公園まで散歩する人を多くみかけるのがまさにいまこのごろ。ためしにタクシーのドライバーに訊ねてみるとよい。足の弱い老人でも、車からさくらを眺められるところはどこかと。かなりの確度でこの堤の道を走るだろう。

5/20 京に田舎あり

最近は京野菜ということで首都圏に販路を広げているが、もともとは地産地消のためのもの。正月のカシラ芋も、ずいぶんと高くなった。京都駅から徒歩圏内にレンコン田があったが、最後に見たのは数年前のことだ。建築ラッシュがすすむ今も、まだ残っているだろうか。

2017/04/08 若井 朝彦

わたしの新京都20景(2)
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2017年3月22日水曜日

勅語詔書と機会主義と拝跪と

安岡章太郎(1920-2013)の話を北杜夫(1927-2011)が拾って随筆にしていたものの中にあったと記憶しているのだが、安岡は小学校での教育勅語奉読の際、

「夫婦相和シ」

というところに来ると、これがいつも

「夫婦はイワシ」

に聞えて、下を向いて笑いを堪えるのに大変だった、ということである。

聞いただけではまったくわからない謹厳な(難渋な)文言を荘重に読むと、かえって滑稽になる一例だとは思うが、読む方は読む方で大変だったらしい。大人にしても勅語詔書に出てくるような漢語(勅語詔書の骨格は日本語と謂わんよりは「漢語」である)は普段滅多なことでは使わない。読み間違えを口実に、校長が責任を取らされる例も少なくなかったということだ。四文字熟語でいうところの「繁文縟礼ノ極ミ」である。これは困ったことに、現代にもまだまだ生き残っているが。

さてその内容はというと、
・・・父母ニ孝ニ 兄弟ニ友ニ 夫婦相和シ 朋友相信シ 恭儉己レヲ持シ 博愛衆ニ及ホシ 學ヲ修メ 業ヲ習ヒ 以テ智能ヲ啓發シ 德器ヲ成就シ 進テ公益ヲ廣メ 世務ヲ開キ 常ニ國憲ヲ重シ 國法ニ遵ヒ 一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ・・・
(『wikipedia』より・節を区切ってアキを入れた)
といった具合である。現代から見ても、この部分は特段、変わったことを言っているのではない。一家の主の権力が強大で、跡取りの長男には学校学問は要らんという家が多勢で、対等な男女の恋愛があったとしても極めて稀だった当時にしてみれば、この勅語は、当時の商家家訓などよりはるかに進歩的で、民法・憲法と比べても開明的なものであり、見方によっては欧米風だったと言えなくもない。

現在、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」が軍国主義と関係づけられて忌まれることが多いが、それは発布当時(明治23年=1890)の平民にしたところで同じだったであろう。合法的に徴兵を逃れるものも少なくなかったのである。しかしいずれにしてもこの内容は、当時の憲法以下のものではないとわたしには思われる。

ところで勅語詔書のたぐいは、読むのも大変なら、印刷も並大抵ではなかった。

以下は長谷川鑛平(1908-1995)の『本と校正』(中央公論社・1965)の中にあるエピソードなのだが、長谷川は1940年当時、みずからが編集校正していた『日本少年新聞』に「(日独伊三国同盟締結に際して渙発された)詔書」を掲載したところ、警視庁に呼びつけられたということである。具体的には
・・・政府ニ命ジテ帝國ト其ノ意圖ヲ同ジクスル獨伊兩国トノ提擕協力ヲ議セシメ茲ニ三國間ニ於ケル條約ノ成立ヲ見ルハ朕ノ深ク懌ブ所ナリ
という個所にある「提擕」を「提携」で済ませていたことが問題なのであった。この新聞を印刷しているのが小菅の刑務所内の工場であるため、長谷川は大きな印刷工場にあるような活字はないだろうと判断して、そのまま活字を差し替えることなく(安直に)校了していたのである。

警視庁ではこのことで官吏に怒鳴りつけられる。
「はあ、しかし、字の形が少しちがうばかりで、意味も文字の由来も全く同じ字なんですが・・・」
「馬鹿! お前、それでも日本人か!」
抗弁して一層ひどい目に遭ったようである。

あとで長谷川は同僚から小馬鹿にされるようにして諭される。「新聞社ではとくに詔書係りがいて、一字一句ゆるがせにしない、もし少しでもミスをすれば進退伺いもの」なのだ、そんなことも知らなかったのかと。

天皇に関わることとなると、空気を読まねばならず、忖度せねばならず、事大主義にまきこまれて大変だったのである。命令とは言えない命令で充満していたわけだ。しかし一方に強い権威権力があり、それへの順応次第では出世が可能な社会は、機会主義者を大量に生む。役人が国民に、忖度どころか拝跪を強要するようになる。難解な勅語詔書なども、そのための絶好の素材となっていたのであろう。耳で聞いて、すぐにわかるような文章だったら、こんなことにはならない。ありがたみがないのである。そういった意味で教育勅語には、内容よりむしろ文体に問題があったとわたしは思う。

第一次安倍内閣が2006年に設置した教育再生会議の委員からは、参議院議員、知事、政令市市長などを輩出した。籠池氏は、自身の学校法人に復古主義を採用し、こういったあたりに連なることを夢見ていたのであろうか。たしかに熱心な勤勉な機会主義者であったようではある。とはいえ教育勅語をきちんと扱えるだけの人物ではなかった。その結末は、たいていの機会主義者がそうであるように笑劇で終わりそうであるが、なんとハタ迷惑な。

ところではなしは「夫婦相和シ」にちなんであらぬ方向に飛ぶけれども、首相も自民党もこの際、夫婦別姓の利点について再検討してみてはどうだろう。

2017/03/20 若井 朝彦
勅語詔書と機会主義と拝跪と

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2017年3月17日金曜日

西陣きものショー 2017

京都は梅の盛り。沈丁花も開きはじめて、ストーブもだんだん要らなくなってきたが、毎年のことながら、この今頃が確定申告のシーズンである。

地元の税務署は一条戻橋(イチジョウ・モドリバシ)の近くにある。税務署にしてはなんて気の利いた地名の上にあるのだろう、とはいつも思うのだが、ここの庁舎はちょっと狭い。という事で、おおむねそこから歩いて5分ほどの西陣織会館の6階が確定申告の受付会場になる。

ちなみにだが、西陣織会館は、陰陽道ゆかりの晴明神社(現在は本来的な陰陽道との関係は残念ながら希薄)と、蹴鞠の白峯神社(現在はサッカー関係者のお参りが多)の間の位置である。

そろそろ電子納税にしようか、せめて郵送でいいだろう、とは思うものの、28年度分からマイナンバーが必須になっていて、今年も持参して確認してもらうことにした。

ところで西陣織会館というと、なんといっても「きものショー」である。だいたい1時間おきに、数名のモデルの方が京の和装を披露する。ときどきマスコミの話題になるが、近年、外国からの観光客が一気に増えた。

せっかく来たのだから、最近の西陣はどうなんだろうと、時間が合う限りは立ち寄ってゆくことにしている。というのも、西陣織工業組合が、展示や販売と一体に運営しているので、鑑賞フリーなのである。

(2017年)

前回見たのが、昨年なのか、それとも一昨年なのかは覚えていないのだが、今年になって大きな変更点が三つあった。

会場が1階入ってすぐの吹き抜けから、3階のホールに移動。

こちらはちゃんとした舞台もあって、照明も増えた。以前はデパートの仮設の催し物にも似た感じもあったが、よりショーらしく。これがまず一つ目。

二つ目は、いままで女物だけだった着物に、1点だけだが男物が加えられていたこと。これも会場を移した際の変更だろう、「男物なしだったこれまでの方が不自然だったわなぁ」と今にして思う。だが男物の見せ方がサマになるのはマダマダだ。これはモデルさんの非ではなく、着物を準備する方に問題がある。1着しかないらしい着物の着丈が、愛之助丈似のモデルさんに合ってないのである。

三つ目はお客さんである。これにはかなり驚いた。

(2017年)

今年わたしが見た回は、ほとんどヨーロッパまたは北米から来たと思われる旅行者。ブラウン、ブロンド、プラチナブロンド(白髪?)それに赤毛の女性を中央のイスに座らせて、ぐるりをそのパートナーである男性が取囲んでいる。歴史的慣習? とはいえ、その守りが堅いあたり見上げたものである。

2014年の写真も手許にあるのでここ載せるが、今年のものを比べてまったく瞭然の違い。その年の、わたしが見た日、見た回のきものショーは、ほとんどが中国系の旅行者だった。

(2014年)

これは京都にいての感覚だが(また観光庁の統計も同傾向であるらしいが)、台湾からの旅行者はほぼ一定。韓国からは経済状況や為替や外交案件などで変動が大きいようだ。中国本土からは、現在あきらかな減少傾向である。

このあまりの変化に、会館の方にも訊ねてみた。「ずいぶん様替りしたようですが・・・」

「そうですねえ。でも1時間前の回は中国からの人もかなりおられましたよ」

とのこと。一度限りの見聞で何もかも判断することはできないが、数年前、中国からの旅行者によって発見されたといってもよいこの「きものショー」は、現在の中国人にとっては、珍重すべきものではなくなったのだろうか。

たしかに現在も中国本土からの旅行者は京都にも多い。だが傾向は以前とはまったくちがっている。世界遺産巡りが主という層、買い物が主という層、また(きものショーのように)無料スポットを順々に楽しむといった層は減っているように思う。

バスの中で、中国からのグループ内の相談内容(どんな地図を見ているかなど)や、乗車、降車動向を見ていると(失礼)、日本に来る前に、あらかじめ自分たちだけの目的を決めている、といった層が増えているように感じる。かなり凝った観光をしているのである。いま中国から日本に来る旅行者は、総数は減っても、日本ファンの度合いが上がっているのではあるまいか。願わしいことである。

以前、2015年にもここアゴラに
「官製観光」考
 http://agora-web.jp/archives/1650277.html
を書かせてもらっているが、そこでも触れたように、とくに近年の観光動向は読みにくい。

新聞が「爆買」のキーワードで記事をさかんに書いていたころ、そのグラフはすでにピークを過ぎていたわけだし、昨年は昨年で、花見シーズンの来日旅行者の乱行を多くのマスコミが取り上げていたが、今年はどうであろう。記事に困って惰性の報道には流れないことをと願う。

SNSでもって、どんどんと新しい京都観光が開拓されている昨今、役所主導で旅行者観光者を特定の方面に誘導することなど、とてもできないことだ。情報の後追いがせいぜいのところなのだが、これは困ったことばかりではない。むしろ成長産業である印であるのかもしれない。これも以前に書いていたことの繰り返しになるが、観光庁をはじめ官庁自治体は、旅行者観光者が、新しい日本を発見すること、新しい楽しみ方を工夫することを妨げるべきではないように思う。

しかし京都では、現在でも京都市がホテルの誘致に熱心であり、商工会議所の跡地もホテルになるし、(民泊と旅館の中間形態といった)木造ゲストハウスの新築も恐ろしい勢いで増殖しているが、これなども今後つつがなくやってゆけるのだろうか。(2022年、大阪の新今宮に来るという、かの「星野リゾート」なんかも、そのころはどうなんだろう。)

2017/03/16 若井 朝彦
西陣きものショー 2017

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2017年2月25日土曜日

ソムリエ協会と日本酒のいま

日本ソムリエ協会(J.S.A.)の年度は1月からはじまる。そしてこの2月初旬から各地で2017年度第1回の例会が順次開催されているのだが、本年度通年のテーマは、ワインではなくて「日本酒」。

わたしも早速2月8日に行われた京滋支部の例会(セミナーおよびテイスティング)に出席してきた。講師は、昨年度に就任した田崎真也会長が自らが。セミナーのタイトルは

『ソムリエのサービスと日本酒のテイスティング』

である。


(ある日本酒セミナー会場の光景)

各支部とも第1回の例会は同じタイトルで、講師もすべて会長がつとめて全国31個所をまわる。すごい熱の入れようだ。

ソムリエは、飲料である限りはノンアルコール系の飲み物ももちろん守備範囲にしているし、ミネラルウォーターだってセレクトする。そして食後のスピリッツやシガーも扱う。またワインのテイスティングの応用で、コーヒーや紅茶のブレンドすら試みることもある。だからさらに日本酒を勉強したところで、特に怪しむにはあたらない。世界ソムリエ大会が日本で開催されれば、招待者一同を伏見に案内して酒蔵を見学させていたこともあったほどだが、本来はワインが専門の集団が、挙げてかつ一年を通して日本酒に特化するのはなぜなのか。

例会に出てみて、その答えを二つ確かめたのだが、その一つはすでに田崎会長も本にも書いているので、まずそこから引用しておこう。

日本酒のテイスティングを国際化するべき理由

ワインのテイスティング用語に関して見てみると、・・・使用されている用語は、意味づけ、理論づけがされており、言語のように他人との間で伝達し合えることが基本となっています。そして、それらは、国際的なものでもあり、・・・すべての国の人たちと感覚を共有することができるのです。
・・・
日本酒の輸出が増え、世界中で興味を持つ人が増えてゆく中において、日本酒のテイスティング用語も国際的なレベルへと言語化してゆかなければならないでしょう。

田崎真也『新しい日本酒の味わい方』(SBクリエイティブ・2016)17p

そして今年度からソムリエ協会が

《 J.S.A. SAKE DIPLOMA 》

という認定試験をはじめるから、というのがもう一つの答え。上記の「ディプロマ」とそのマークの商標登録が、新年になってやっと完了して、テキストも数日後に発送がはじまるということだった。協会の運営としては、二番目の理由の方が主なものかもしれない。

わたしは10年ほど前からよく、半ば冗談ではあるが

「日本開闢以来、お酒がこれほどおいしくて、しかもこんなに容易安価で手に入ることは、まったくなかったことなのだ!」

と言うことがある。日本酒の品質は、年々向上しているだけでなく、ネットを通じて情報の垣根もほとんどなくなり、発注もまた同様に簡単で、珍しいものもすぐに手に入るようになったからなのだが、これはわたしだけの主張ではなくて、知人や、またネット上でも、ほとんど同じ表現によく出交わす。お酒好き(この稿ではつまり「日本酒好き」)は一様にそう考えているといってよいだろう。

だからといって日本酒の製造量や消費量が劇的に増えているというわけでもない。国内に限っていえば、むしろ先細りの懸念の方が大である。その危機感がむしろ品質の向上を強く促していることもあって、逆に世界からの注目の度合いが増しているのが今なのだ。

やがてこの傾向が地球を一周して、日本人全体がもう一度日本酒に目覚めるのももうすぐなのではないだろうか。ブレイクの環境は整っているし、すでにその臨界は越えていると思う。何か小さなきっかけが、導火線になるかもしれない。

こういったことからすれば、ソムリエ協会のこの舵取りというものはまったく妥当なことだといえる。ワインの情報の獲得に専念していた80年代、インポートの後押しに苦心していた90年代を思い起こせば、いまや全く別次元の活動ではあるのだが、これはまったくうれしい変貌だ。海外でも国内でも日本酒の消費が増えれば、蔵元、醸造関係者の経営がより安定するばかりではなく、酒造好適米の作付面積もふえるだろうし(現状でも山田錦は不足傾向である)、耕地国土の保全にすら役立つのである。

ところで最後にやや専門的に。

今回のセミナーやディプロマの教本テキストなどでは、日本が以前から使っていた酒の見極めの用語を、ワインの鑑定用語に置き換えるという方針が示されている。

たとえば色調では、(おおむね)薄い方から順番に

クリスタル → イエロー → 山吹色 → 黄金色 → トパーズ色 → 琥珀色
→ 紅茶色 → コーヒー色 → 濃口醤油色

といった具合なのだが、従来からの、日本酒固有の

スミ サエ テリ

といった語は退けられている。ワイン標準、国際標準からすれば、当然のことではあろうが、しかしこういった語も、副次的な表現として残しておく余地はないだろうか。

すでにWASHOKU(和食)、KAISEKI(懐石)、DASHI(出汁)、UMAMI(旨味)という語が、ほとんどそのまま世界的に認知されているように、日本酒の持つSUMI(澄)やSAYE(冴)が「刺身」や「寿司」という言葉、そして味覚とも響き合ったり、TERI(照)が「テンプラ」などと調和を見せることからすれば、無理に避けることもないと考える。これはむしろ海外のソムリエや愛好家によって、自然に選択してもらえばいいことではないだろうか。

また海外での消費が増えるにしたがって、海外向きに仕上げされた日本酒も次第に増えるのではないかと思う。ファンが増えて、海外からの強い要望が寄せられるようになればシメたものだ。そういった過程で、日本においても、新しい日本酒の味覚と出会うことができるだろうし、いずれにしても日本酒が世界と触れ合って、獲るものはあっても失うものはほとんどない。

この各支部の例会(セミナー)はまだ3月も続く。残席があれば一般の方も参加が可能。醸造関係者でなくても、協会員でもなくても、ソムリエでなくても問題はない。おそらく必要なのは、お酒への好意と好奇心と会費でしょうか。日本酒のブラインドテイスティングの機会はまだまだ少ないので、ご興味の方にはぜひご参加をとお奨めいたします。

ところで上記の通り、まだ未開催の会場があって、そこでは銘柄酒質を伏せたままテイスティングをするため、詳しい内容はもちろんここには書けなかったが、京滋支部では、「玉栄」「祝」を使用したお酒も選ばれていた。なるほどの演出だった。各支部でもそれぞれきっと特色のあるお酒が準備されることになるだろう。

2017/02/23 若井 朝彦
ソムリエ協会と日本酒のいま

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2017年1月28日土曜日

戦後の国語政策と「云云」

現在われわれが使う漢字のほとんどは、常用漢字表にあるものなのだが、この表を、たとえば自民党の首脳は、どのように思っているのだろうか。もし国語通がおられたら、ぜひともお答えねがいたいことの一つである。

常用漢字表というものも、敗戦後の占領下に急いで作られた当用漢字表の部分改良版に過ぎず、これもいわゆる戦後レジームであるからだ。もちろん首相の演説原稿だってそのレジームからは逃れられない。(しかしこの改革も、じつは日本陸軍の欲する所と、同一線上にあったものなのだが。)

さて、そんな質問はともかく、現行の漢字について考えてみよう。

大雑把に言って当用漢字表とは、(おおむね康熙字典体である)正字を、それまでからずっと通用していた手書きの略字体に、「置き換えらるれだけ置き換えた」といったものである。そのためほとんどの漢字で字画は減ったのだが、漢字(正字)の持つ意味構造と音の仕組みは、その簡略化の過程で、かなりが崩れてしまった。一部では立派に混乱も生じた漢字群もある。「云」というつくりを有する漢字など、その格好の例だ。

たとえば現行の

「雲」「伝」「芸」

という漢字には、おなじ「云」が使われているのだが、音はそれぞれ別々である。

「雲=ウン」「伝=デン」「芸=ゲイ」

といった具合。しかしこれを本来の正字に戻すと

「雲=雲」「伝=傳」「芸=藝」

である。こうして並べると「云」というつくりが「伝」と「芸」の音の要素でないことがわかる。「伝」「芸」にとって、つくりの「云」は仮の姿なのである。
(そもそも「芸」と「藝」は別の漢字であったのだが、戦後「藝」は略されて「芸」となり、元からあった「芸」のドメインを、完全に乗っ取ってしまった。)

「雲」を音で読むことはあまりないが、「雲量=ウンリョウ」「雲高=ウンコウ」「雲底=ウンテイ」といった用語もある。もし「云」と「雲」とが、音で通じていると知っていたなら、「云云」のヨミも覚えやすかっただろうし、まちがえるにしても「ウンウン」という風に読んだかもしれない。

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戦後の漢字は、字画は減って一見のところ覚え易くなったけれども、音や意味の類推が難しくなったのである。活字は目で見る。だから画数が多くてもさほど判別の苦にはならない。むしろ意味構造がしっかりしている方がよい。しかし手で書く時は、早くて楽に書ける字体が便利である。手書きが主流の時代は、同じ漢字であっても、印刷する時は正字で、書く時は略字で、といった使い分けの方便があったわけだ。

しかしこれは、現在の状況と似ているところがある。画数とは関係なく、キーボードなどの入力と変換によって、すばやく漢字をあらわすことができる。構造を犠牲にしてまで画数を減らした字体を使う根拠は薄れているのだ。

ではどうすればよいのか。漢字を使うからには、漢字は便利で判り易いものであってほしい。画数はやや増えてもいいから、一度覚えたら忘れにくい字体がいい。数十年後でもよいし、百年後でもよいし、それこそ再来年からでもよいが、機会があれば、「偏」と「旁」に関して、意味からも、音からも合理的な再整理をすべきだ。わたしはいつもそう考えている。

それを誰がするのか。絶対に国語審議会など、集団に任せるべきではない。何かある毎に「全部足して出席者数で割る」ような集団でできるようなことではない。統一された方針が必要で、だれでもよいから個人が提案すべきだ。そうでなければ、筋道が通らない。日本語の表記法に関心のある大学生だったら、試案くらいできないこともないだろう。PCを使えば、仮のフォントだって立派に組める。そうやって多数の案から、簡素にして意味と音に整合性の高いものを選べばよい。その発表も、インターネットで各々ができる。衆知による修正補綴はその後で十分。

以上はなかなか実現はしそうにない腹案ではあるのだが、日本語の表記に関して何かしようというのであれば、せめてこのくらいの展望は持っておくべきであろう。おおげさなようだが、立場上この字体の件は切実であって、わたしにとってそれは、憲法問題に、いささかも劣らない。

*文字例の画像「云 云 伝 伝 傳」は
奈良文化財研究所と東京大学史料編纂所による
『木簡画像データベース・木簡字典』『電子くずし字字典データベース』
の『連携検索』から作成

2017/01/26 若井 朝彦
戦後の国語政策と「云云」

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2017年1月24日火曜日

「第三のウソ」のことなど

わたしはツイッターの「ことわざbot」のたぐいを、いくつかフォローしている。同じつぶやきが繰りかえされても、その都度楽しんでいる。ことわざが好きなのである。次のものは、ことわざというよりも警句箴言だろうが、かなり気に入っているもののひとつ。

「ウソには三種類ある。ウソ、真っ赤なウソ、そして統計である。」

タイムラインに周期的に現れる。

統計は直ちにウソというものではもちろんない。だがその「統計」(実験による「統計」や観察による「統計」など)というものにもさまざまな品質がある。

「統計をする意味が不明な単なる統計」
「有効な仕分けがしてある統計」
「前提に欠陥があって誤った証明を誘発しかねない統計」
「データ捏造や仕分けの仕方にトリックのある統計によって作られた単なるでっち上げ」

この他にもいろいろだが、(数値)統計といっても要は人間次第なのだ。たしかに「第三のウソ」とレッテルを貼ってもよいものも、世間にはうんざりするほどあふれている。とくに賛否に揉まれていない統計は要注意であるし、「手法はまちがっていないし悪意も認められないが袋小路に迷い込んでいる」といった統計は、なお扱いが難しい。つい先日、1月18日の外信ニュースも、後者の一例だったのかもしれない。

共同通信47NEWS・2017/1/18 01:01
https://this.kiji.is/194119358531403778
「ダイエット実験でサル寿命延びる・論争に決着、米チーム研究発表」

・・・栄養不足にならない適度なダイエットで寿命が延びるかどうかは長年の論争の的だった。国立加齢研究所とウィスコンシン大はサルを使った研究で、2009年と12年にそれぞれ異なる結果を示していたが、互いのデータを分析した結果「寿命を延ばす効果あり」と結論を出した。・・・
(全文は300字弱)

朝日新聞デジタル 1/18(水) 7:52配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170118-00000025-asahi-soci
「カロリー制限、やっぱり長寿に効果 論争に終止符か」

カロリー制限はやはり長寿に効果がある、とする研究結果を米国の二つの研究チームがまとめ、17日付の英科学誌ネイチャー・コミュニケーションズに発表した。両チームは1980年代後半からアカゲザルで実験を続け、効果をめぐって相反する結果を発表。両チームが共同で実験データを再解析し、「効果あり」で結論が一致したという。・・・
(全文は約700字)

記事は朝日の方が長く詳しい。この記事はアメリカに元ネタがあっての記事なので、この2例のほかにも配信はあったかもしれない。ここでいう「両チーム」、米ウィスコンシン大学と米国立加齢研究所がそれぞれアカゲザルで実験をして統計し、導き出された見解は相反していた。だが両方のデータを再解析したところ、カロリー制限が寿命をのばす事に有意であると結論づけた、ということであるらしい。当初の対立がめでたく和解したわけであるが、一定の期間は、相手の統計、または結論を、双方ともに疑っていたわけだ。

さらに朝日の要約によると

・・・実験開始時の年齢を若年(1~14歳)と中高年(16~23歳)に分けて改めて解析すると、若年でカロリー制限を始めた場合は寿命が延びる効果はみられなかったが、中高年で始めた場合は効果がみられ、特にオスは平均寿命の推計が全体よりも9歳ほど長い約35歳だったという。・・・

ということである。アカゲザルの普通の寿命からして実験は30年単位のものであるのだし、それをまたはじめから繰りかえすよりも、すでにある統計数値を解析しなおした方が安上がりだったはずである。もっとも、突き合わせや解析をせずにそのまま再現というわけにはゆかなかっただろうが。

解析以前の統計そのものであっても、先入見の影響は皆無ではない。また次の予算が獲得しやすい結論とそうでない結論もある。潜在する集団意図がそれに働きかけてしまうことも、もちろんある。対象群が充分大きい場合はともかく、サンプルの少ない統計に飛び抜けた数値が現れた場合、それをノイズとして撥ねるのか、それとも特異な現象として突っ込んだ研究をするのかは、それこそ当事者次第。このアカゲザルの例では、どうやら数字の区分を見直すことで、意味のある結果が導き出されたようだが、下手をすれば、双方の統計が共倒れして、まとめてガラクタにならなかったとも限らない。

また研究機関の発表する結果を、報道が煽ることもしばしば起こる。統計や結論の一部ばかりを、ウソにはならない程度に増幅したりするわけだ。今回の場合、朝日も共同も同じネイチャー・コミュニケーションズを読んでの記事のようだが、共同は「論争に決着」、朝日は「論争に終止符か」という言葉を用いている。しかし「ア大」と「加齢研」との間で手打ちがあったということで、他の団体は関与していないようだ。共同通信の「結着」はむろん、朝日新聞の「終止符」という語の使用も(朝日は、東スポ風に「か?」をくっつけているにしても)、ちょっと上ブレの感じが否めない。第三者の検証も欲しいところだし、本当の結着は、最低限のところ機序(機杼)が明らかになってからのことだ。

統計は、そのままでは統計にとどまることがほとんどで、機序本質解明のための参考である、と心得ておけばまずまちがいない。統計によって機序が究明され、解明のなされた機序によって統計の方法と精度が向上する。複数のチームで相反する結果が出ていて、検討が加えられる統計というものは、途中に紆余曲折があっても、その分だけ幸運な統計であり研究(過程)なのである。このアカゲザルのケースもなかなか恵まれた研究だったようにわたしは思う。

2017/01/22 若井 朝彦
「第三のウソ」のことなど

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2017年1月20日金曜日

『おんな城主 直虎』と狂言と鼓と国衆と

今年のNHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』がはじまった。

この大河の主役は井伊直虎。実在していたことは確かだろうが、史的資料のほとんどないこの直虎をどう描くかは、製作陣もとってもむずかしいところだったにちがいない。普通だったら、大河の主人公に据えるのには躊躇したはずだ。それに加えて、昨年の『真田丸』とストーリーのかなりがかぶる。

だが1月15日の第2回の放送までを見たところ、その不安はなくなったといってよい。ドラマとして面白いのである。このドラマが、史実とどのくらい乖離しているのか、決定的なことは誰にもわからないだろうが、浜名湖の奥、井伊谷(イイノヤ)の一族は、いったいこれからどうなっていくのであろうか。そんなワクワクを脚本と俳優がしっかと支えている。

俳優、脚本ともスターシステムではなく、アンサンブルのドラマである。脚本家は複数の演出担当とも、もちろん突っ込んだ摺合せをしたと思われるが、芝居のさせ方が、役によっても、また場面によってもさまざまなのである。これも工夫の一つなのだろう。

たとえば前田吟。この人が出てくるところは、いささか石井ふく子+橋田壽賀子風の味付けが顔を出す。平たく言うとNHK大河が、瞬間TBS東芝日曜劇場化するのであるが、同じ前田吟でかつ同じNHKでも、『マッサン』(2014-2015)の出演では(相手役が泉ピン子であってさえ)そこまでの演技はしていなかったから、これも演出側の意向なのだろう。井伊一族の、複雑な大人の事情をそうやって見せている。

ところが子役三人が表に出ると、一転して芝居が様式化する。様式化するといっても平板な芝居になるのではない。その逆である。第2回「崖っぷちの姫」よりセリフだけを拾うとこんな具合だ。
(井伊直盛)おとわ!

(とわ)父上!

(今川家臣)おとわ? おとわとは何者じゃ?

(井伊直盛)我がひとり娘にござる。

(井伊家臣)まことにござる。こちらは井伊の姫にて・・・

(今川家臣)ほ! では井伊の姫がなにゆえ、朝はやくあのようなところにおられたのじゃ?

(とわ)それは・・・・・・! 竜宮小僧を探しておったのです!

(今川家臣)竜宮小僧?

(とわ)井伊の里に住む、伝説の小僧です。ここのところ、ずぅっと探しておったのですが、全く出会えず、ひょっとして、朝はやくならとくり出した次第でございまする。嘘だとお思いなら、里の者に訊いてみて下され。
この場面で(後の直虎である)おとわが大人に物申す時、ふと腰を落としつつ語るといったしぐさは、ほとんど狂言に通じている。こういった所作は物語の展開に風格をもたらすし、また狂言にあるような空言がかすかなおかしみをも添えていて、筋にも奥行きをあたえる。いずれは女大将になるだけの芝居をすでに子役にさせているわけだ。

こういう読み方をしはじめると、春風亭昇太演ずる白塗りの今川義元の無言は、能の能面であるようにも見え、持道具として扱われる笛や鼓もまた能狂言の中世の隠喩であるのかもしれない。

深読みかもしれないが、脚本と演出には、江戸ではなく、安土桃山でもなく、武家中世の成分が満ちている。

戦国末期に至る前段として、国衆が時に大きい勢力に蹂躙されながらどう生き抜いていったのかというテーマは、すでに『軍師 官兵衛』(2014)の小寺家(黒田家)にも、また『真田丸』(2016)の真田家の複雑さにも現れてはいた。しかしそうはいっても、両者とも最終的には天下人に合流してゆくという筋立てである。だが今年の『直虎』では、(直虎存命中を描く限りは)おそらく近年の中世武家の研究も採り入れて、半独立の農村共同体である国衆の臨機の決断といったものに、次々と焦点を当ててゆくことになるのではなかろうか。

たしかに扱う対象が小さいと、「大河」という看板にそぐわないものになるかもしれないが、国衆をテーマにした大河というものはたしかに現代と合っているといえる。たとえば、ある大名の突発的な行動によって困難に陥った藩の一部が、その後も強固に団結して超法規的な行為に及ぶといった事件(赤穂浪士のことです)などは、一義的な団結力のすばらしさを描くとしても、また政府への反抗といった面を強調するとしても、現在ではもはや大きな注目を集めることはむずかしい。

ドラマとしての『直虎』が、これからどのように展開するかは判らない。脚本家を含めて、評判を確かめながら柔軟に対応することになるのだろう。しかしこの『直虎』のように、国衆が勝敗の中で浮沈し、国衆の内部でもユニットを組み替えながら、多くの場合は妥協し、若い人材を育てつつ時流を掴もうする物語の方が、以前のグランドスタイルの大河より、現在の若い世代の支持を得るのではあるまいか。

毎年のことながら、ドラマの出来を計る指標として、視聴率についても話題になるはずである。だがそれとともに、このドラマがどう受容されるのかということから、逆に現代が見えてくるかもしれない。

2017/01/17 若井 朝彦
『おんな城主 直虎』と狂言と鼓と国衆と

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2017年1月12日木曜日

元号存続についての折衷案

今上天皇ご譲位に関係して、新元号が新聞を賑わしはじめた。大手マスコミは、「ネットメディアではこうは行くまい」とばかりに政府系の情報を流しはじめている。これから数年、抜きつ抜かれつのスクープ合戦になることかと思う。

その報道の内容よると、新元号はその半年前に政府決定ということだ。しかしながら、わたしの周囲でもすでに2019年(平成で数えると31年)あたりの計画であったり受発注が、とっくに動き始めているわけで、こうなると、現在のところ元号表記でぎりぎり踏みとどまっている会社・法人も、次第に西暦の単独表記に切り替えてゆくことになるはずだ。

新聞報道が本当になるかどうかはわからないが、「半年前に決まる」というよりも、「半年前にしか決まらないのか」というのが実感だ。自民党が望むと望まざるとに関わらず、元号が実用から遠ざかってゆくことは避けがたい。

ところで、いささか古い論述だが、加藤周一は1970年代の半ば、こんなことを書いていた。
日本の人民が、国の主権者として、旧中国の習慣をまもり、帝政とむすびつけて年を算えるのは、時代錯誤ではないだろうか。―――しかしそのことと全く離れてみても、元号を廃した方がよいと思われる理由は他にもある。

元号の廃止に反対する議論には、元号が特定の時代の雰囲気を伝える、というものがある。「明治の男」、「化政の江戸」、「元禄の文化」など。それは「身の丈六尺」という言い回しの味が失われるから、尺貫法の廃止に反対し、「草木も眠るウシミツ時」に愛着があるから、国鉄・日航の時間表も、何時何分ではなく「明け六つの特急」とした方がよいというようなものである。しかしそういう反論をする人々の何人が、たとえば美術史家のしばしば用いる「弘仁仏」「貞観仏」という表現と、「九世紀の前半および後半の仏像」という表現の、どちらを容易に理解するだろうか。西暦に慣れれば「世紀末」とか「六〇年代の学生運動」という言葉にも、時代の雰囲気を感じること、元号の場合と変わらない。

メートル法採用は、多数決の結果ではなくて、多数の利益に奉仕するものであった。西暦の採用もまた、多数決の結果ではなくて、日本国の人民の多数の利益に役立つものであり得るだろう。なぜ年を算えるのに、キリスト誕生からはじめなければならないか。そうでなければならぬ理由は全くない。ただ皆同じところから算えて、各年に通し番号をつけるのが、大変便利だというだけの話なのである。

『言葉と人間』(朝日新聞社・1977年)所収
「廃元号論または『私と天皇』の事」から抜書き
加藤の論点は3つ。

(1)元号の存在が人民主権から逸脱していること。
(2)元号の文化的歴史的印象が西暦でも代替できること。
(3)西暦の方が便利であること。

(1)に関しては、このすぐ後に制定された元号法が効力をもっており、現在さしあたって議論にはならない。(3)に関してはその通り。西暦が便利であるというよりも、元号の不便が明らかになってきている。

(2)の論述は、しばしば言葉で見得を切る癖のあった加藤にしてもかなり乱雑で、尺貫法への無理解はここでは措くとしても、やはり時代に名が与えられていることには価値がある。数的表現では味わいがない。わたしはそう考えるところだ。

元号の価値とその通用が、日本に限られるものであるとしても、それはそれで面白いだろうし、それゆえに面白さが増すということもあろう。すでに結着のついている実用での優劣で粘るよりも、文化的象徴の陣地までサッと引く方が賢明ではあるまいか。

昭和は長く続いた。そのため、昭和を戦前と戦後に区分するだけでも足らず、「高度成長期」「万博前後」といった補助表現も数え切れない。そういった意味で、元号の文化的歴史的印象は、一世一元となったところでかなり損なわれてしまっていたともいえる。加藤の論が出てくる素地はあったわけだ。このままでも、元号がなくなることはないだろうが、残るといってもそれはやはり儀礼的な限られた範囲に縮小してゆくにちがいない。

もし今後も元号を残そうとするのであるとすれば、むしろ改元を柔軟にすべきではないだろうか。そしてそれが望ましいとわたしは考える。慶応まではそうだったのだから。

さらに言えば、使うにあたって混乱しないよう、西暦の末尾の桁と元号の値を同じにする。つまりは基本的に10年で改元するといった具合である。

これはかなり粗い意見である。それは承知している。しかし明治6年(1873)に新政府が突如として太陽暦を導入した実績、また昭和戦後、新嘗祭を「勤労感謝の日」に、彼岸の中日を「春分の日」「秋分の日」に巧みに読み替えた工夫と比べてみて、そうもむずかしいものではないだろう。

結論をいうと、わたしは元号そのものを好ましく思うのであって、明治以後の一世一元に強い関心を有しない。しかし生活上で本当にややこしいのは、元号と西暦の関係ではなく、実際の「年」と、お役所仕事などの「年度」との乖離である。

2017/01/11 若井 朝彦
元号存続についての折衷案

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2017年1月2日月曜日

編集者が出版のいまを描く時 川崎昌平 著『重版未定』

(年末に本屋に出かけていって、買って帰ってきた本のご紹介。書評というほどのものではありませんが、著者と版元の応援になればと思います。)

著者は川崎昌平氏、タイトルはどこかで聞いたことがあるような『重版未定』というもの。その第1巻。副題は

‐ 弱小出版社で本の編集をしていますの巻 ‐

もともとは同人誌に描かれたものだったというのだが、その後、機会があってWEB連載になり、さらにいろいろとあって河出書房新社からひと月ほど前に刊行。業界の今をリポート、ともいうべきマンガ。

その出版業界はなんといっても目下規模縮小の一途で、歯止めのメドはまったく立たない。腰巻(「帯」ともいう)に書かれた惹句(「アオリ」ともいう)もまったくその線で、

「リアル過ぎて、泣けました。」

である。とはいうものの、悪戦苦闘するキャラクターたちは、見た目には「ゆるい」感じがして、そのリアルさはまろやかな仕上がり。現実はどこまでも徹底的に厳しいが、コマの中のセリフはほろ苦くて、すこし切なくて、「泣けました」というのも決して誇張ではない。

ところで出版業界というと、一方に強烈な理想主義があって、そしてその反対側には冷徹な経営原理があって、登場人物は、みんなその間で悩む。

ともあれ編集長の頭はやはり経営が第一である。
《編集長》
「おい待て、いつ誰が『売れる本』をつくれって言った?
まず『売る本』を用意して、取次に納品することが仕事だろ?」
(第3話 企画会議)
出版社がこんな具合だから取次とのあいだには軋みが絶えない。
《営業・バケツ氏》
「双方動くな!
取次と版元が喧嘩しても、読者は喜ばねえんだよ。
仲良くしても、どうにもならないその日までは・・・仲良くしようぜ」
(第7話 取次)

しかし編集長だって理想は捨てきれない。
《編集長》
「小見出しの出来が、購入の指針になると思うか?
第一だな、小見出しなんて読者を甘やかすだけだぞ・・・
甘やかされて育った読解力のツケを払うのは、結局俺たちだ」

《主人公》
「アレてますね。
なんかあったんですか?」

《編集長》
「ん・・・いや、今年度の決算が・・・ちょっとアレすぎて・・・
思わず酒に逃げた・・・って感じだ、うん」
(第13話 入稿その2)
《編集長》
「1万人のための本ばかり編んでいたら、似たような本だらけになる。
そんな本を編みたいか?
どこにでもあるような本をつくりたいか?
・・・・・・
本のための、本を編め!」
(第15話 辞表)
そしてつねに出版業界の現実と直面している作者はこんな風に言う。
《あとがき》より
いずれにせよ、ちょっとでも本書をきっかけに「出版」や「編集」に興味を持っていただけたら、それに勝る喜びはありません。
誰にも意識されないまま滅びるのが一番寂しいので・・・・・・。
また書物への愛情を、補注の中にさりげなく秘ませる。
《補注》
【 棚 】
この場合は・・・書店の「売り方」や「品揃え」、はたまた生き残るための「戦略」や書籍および出版文化に対する「愛」などを表現する存在としての棚・・・
・・・営業担当者は棚を見るだけで、その書店の真価を見抜くという。
(第6話 客注その2)
以上、まとまった感想を書くつもりが、単なる抜書のメモのようなものになってしまった。これでは応援の後押しにはなりそうもない。その補いにもならないけれども、最後にこの『重版未定』の表紙をご紹介しよう。

表紙といっても、目に触れるカバーのことではなくて、その下側にある、書物にとって本当の表紙のこと。

重版_600

いわゆる「新古本店」でも、カバーのない本には、ほとんど値段がつかない。色刷りのハデハデしいカバーの欠けてしまった本は、見た目には、面白くとも何ともないからだ。今日日の単行本は、カバーを外してしまうと、たいてい幻滅する。あまりの味気なさに、百年の恋だって冷めてしまうほどみすぼらしいものがほとんどだ。

でもこの『重版未定』の表紙は、限られた予算の中で、カバーと同じように慈しんで作られている。わたしにはそう見える。もちろん単色刷りに過ぎないけれども、カバーとは別に作られた楽しい絵柄からは、編集者と著者の真情が、じんわりと伝わってくる。

2017/01/01 若井 朝彦
編集者が出版のいまを描く時 川崎昌平 著『重版未定』

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