2017年3月22日水曜日

勅語詔書と機会主義と拝跪と

安岡章太郎(1920-2013)の話を北杜夫(1927-2011)が拾って随筆にしていたものの中にあったと記憶しているのだが、安岡は小学校での教育勅語奉読の際、

「夫婦相和シ」

というところに来ると、これがいつも

「夫婦はイワシ」

に聞えて、下を向いて笑いを堪えるのに大変だった、ということである。

聞いただけではまったくわからない謹厳な(難渋な)文言を荘重に読むと、かえって滑稽になる一例だとは思うが、読む方は読む方で大変だったらしい。大人にしても勅語詔書に出てくるような漢語(勅語詔書の骨格は日本語と謂わんよりは「漢語」である)は普段滅多なことでは使わない。読み間違えを口実に、校長が責任を取らされる例も少なくなかったということだ。四文字熟語でいうところの「繁文縟礼ノ極ミ」である。これは困ったことに、現代にもまだまだ生き残っているが。

さてその内容はというと、
・・・父母ニ孝ニ 兄弟ニ友ニ 夫婦相和シ 朋友相信シ 恭儉己レヲ持シ 博愛衆ニ及ホシ 學ヲ修メ 業ヲ習ヒ 以テ智能ヲ啓發シ 德器ヲ成就シ 進テ公益ヲ廣メ 世務ヲ開キ 常ニ國憲ヲ重シ 國法ニ遵ヒ 一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ・・・
(『wikipedia』より・節を区切ってアキを入れた)
といった具合である。現代から見ても、この部分は特段、変わったことを言っているのではない。一家の主の権力が強大で、跡取りの長男には学校学問は要らんという家が多勢で、対等な男女の恋愛があったとしても極めて稀だった当時にしてみれば、この勅語は、当時の商家家訓などよりはるかに進歩的で、民法・憲法と比べても開明的なものであり、見方によっては欧米風だったと言えなくもない。

現在、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」が軍国主義と関係づけられて忌まれることが多いが、それは発布当時(明治23年=1890)の平民にしたところで同じだったであろう。合法的に徴兵を逃れるものも少なくなかったのである。しかしいずれにしてもこの内容は、当時の憲法以下のものではないとわたしには思われる。

ところで勅語詔書のたぐいは、読むのも大変なら、印刷も並大抵ではなかった。

以下は長谷川鑛平(1908-1995)の『本と校正』(中央公論社・1965)の中にあるエピソードなのだが、長谷川は1940年当時、みずからが編集校正していた『日本少年新聞』に「(日独伊三国同盟締結に際して渙発された)詔書」を掲載したところ、警視庁に呼びつけられたということである。具体的には
・・・政府ニ命ジテ帝國ト其ノ意圖ヲ同ジクスル獨伊兩国トノ提擕協力ヲ議セシメ茲ニ三國間ニ於ケル條約ノ成立ヲ見ルハ朕ノ深ク懌ブ所ナリ
という個所にある「提擕」を「提携」で済ませていたことが問題なのであった。この新聞を印刷しているのが小菅の刑務所内の工場であるため、長谷川は大きな印刷工場にあるような活字はないだろうと判断して、そのまま活字を差し替えることなく(安直に)校了していたのである。

警視庁ではこのことで官吏に怒鳴りつけられる。
「はあ、しかし、字の形が少しちがうばかりで、意味も文字の由来も全く同じ字なんですが・・・」
「馬鹿! お前、それでも日本人か!」
抗弁して一層ひどい目に遭ったようである。

あとで長谷川は同僚から小馬鹿にされるようにして諭される。「新聞社ではとくに詔書係りがいて、一字一句ゆるがせにしない、もし少しでもミスをすれば進退伺いもの」なのだ、そんなことも知らなかったのかと。

天皇に関わることとなると、空気を読まねばならず、忖度せねばならず、事大主義にまきこまれて大変だったのである。命令とは言えない命令で充満していたわけだ。しかし一方に強い権威権力があり、それへの順応次第では出世が可能な社会は、機会主義者を大量に生む。役人が国民に、忖度どころか拝跪を強要するようになる。難解な勅語詔書なども、そのための絶好の素材となっていたのであろう。耳で聞いて、すぐにわかるような文章だったら、こんなことにはならない。ありがたみがないのである。そういった意味で教育勅語には、内容よりむしろ文体に問題があったとわたしは思う。

第一次安倍内閣が2006年に設置した教育再生会議の委員からは、参議院議員、知事、政令市市長などを輩出した。籠池氏は、自身の学校法人に復古主義を採用し、こういったあたりに連なることを夢見ていたのであろうか。たしかに熱心な勤勉な機会主義者であったようではある。とはいえ教育勅語をきちんと扱えるだけの人物ではなかった。その結末は、たいていの機会主義者がそうであるように笑劇で終わりそうであるが、なんとハタ迷惑な。

ところではなしは「夫婦相和シ」にちなんであらぬ方向に飛ぶけれども、首相も自民党もこの際、夫婦別姓の利点について再検討してみてはどうだろう。

2017/03/20 若井 朝彦
勅語詔書と機会主義と拝跪と

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2017年3月17日金曜日

西陣きものショー 2017

京都は梅の盛り。沈丁花も開きはじめて、ストーブもだんだん要らなくなってきたが、毎年のことながら、この今頃が確定申告のシーズンである。

地元の税務署は一条戻橋(イチジョウ・モドリバシ)の近くにある。税務署にしてはなんて気の利いた地名の上にあるのだろう、とはいつも思うのだが、ここの庁舎はちょっと狭い。という事で、おおむねそこから歩いて5分ほどの西陣織会館の6階が確定申告の受付会場になる。

ちなみにだが、西陣織会館は、陰陽道ゆかりの晴明神社(現在は本来的な陰陽道との関係は残念ながら希薄)と、蹴鞠の白峯神社(現在はサッカー関係者のお参りが多)の間の位置である。

そろそろ電子納税にしようか、せめて郵送でいいだろう、とは思うものの、28年度分からマイナンバーが必須になっていて、今年も持参して確認してもらうことにした。

ところで西陣織会館というと、なんといっても「きものショー」である。だいたい1時間おきに、数名のモデルの方が京の和装を披露する。ときどきマスコミの話題になるが、近年、外国からの観光客が一気に増えた。

せっかく来たのだから、最近の西陣はどうなんだろうと、時間が合う限りは立ち寄ってゆくことにしている。というのも、西陣織工業組合が、展示や販売と一体に運営しているので、鑑賞フリーなのである。

(2017年)

前回見たのが、昨年なのか、それとも一昨年なのかは覚えていないのだが、今年になって大きな変更点が三つあった。

会場が1階入ってすぐの吹き抜けから、3階のホールに移動。

こちらはちゃんとした舞台もあって、照明も増えた。以前はデパートの仮設の催し物にも似た感じもあったが、よりショーらしく。これがまず一つ目。

二つ目は、いままで女物だけだった着物に、1点だけだが男物が加えられていたこと。これも会場を移した際の変更だろう、「男物なしだったこれまでの方が不自然だったわなぁ」と今にして思う。だが男物の見せ方がサマになるのはマダマダだ。これはモデルさんの非ではなく、着物を準備する方に問題がある。1着しかないらしい着物の着丈が、愛之助丈似のモデルさんに合ってないのである。

三つ目はお客さんである。これにはかなり驚いた。

(2017年)

今年わたしが見た回は、ほとんどヨーロッパまたは北米から来たと思われる旅行者。ブラウン、ブロンド、プラチナブロンド(白髪?)それに赤毛の女性を中央のイスに座らせて、ぐるりをそのパートナーである男性が取囲んでいる。歴史的慣習? とはいえ、その守りが堅いあたり見上げたものである。

2014年の写真も手許にあるのでここ載せるが、今年のものを比べてまったく瞭然の違い。その年の、わたしが見た日、見た回のきものショーは、ほとんどが中国系の旅行者だった。

(2014年)

これは京都にいての感覚だが(また観光庁の統計も同傾向であるらしいが)、台湾からの旅行者はほぼ一定。韓国からは経済状況や為替や外交案件などで変動が大きいようだ。中国本土からは、現在あきらかな減少傾向である。

このあまりの変化に、会館の方にも訊ねてみた。「ずいぶん様替りしたようですが・・・」

「そうですねえ。でも1時間前の回は中国からの人もかなりおられましたよ」

とのこと。一度限りの見聞で何もかも判断することはできないが、数年前、中国からの旅行者によって発見されたといってもよいこの「きものショー」は、現在の中国人にとっては、珍重すべきものではなくなったのだろうか。

たしかに現在も中国本土からの旅行者は京都にも多い。だが傾向は以前とはまったくちがっている。世界遺産巡りが主という層、買い物が主という層、また(きものショーのように)無料スポットを順々に楽しむといった層は減っているように思う。

バスの中で、中国からのグループ内の相談内容(どんな地図を見ているかなど)や、乗車、降車動向を見ていると(失礼)、日本に来る前に、あらかじめ自分たちだけの目的を決めている、といった層が増えているように感じる。かなり凝った観光をしているのである。いま中国から日本に来る旅行者は、総数は減っても、日本ファンの度合いが上がっているのではあるまいか。願わしいことである。

以前、2015年にもここアゴラに
「官製観光」考
 http://agora-web.jp/archives/1650277.html
を書かせてもらっているが、そこでも触れたように、とくに近年の観光動向は読みにくい。

新聞が「爆買」のキーワードで記事をさかんに書いていたころ、そのグラフはすでにピークを過ぎていたわけだし、昨年は昨年で、花見シーズンの来日旅行者の乱行を多くのマスコミが取り上げていたが、今年はどうであろう。記事に困って惰性の報道には流れないことをと願う。

SNSでもって、どんどんと新しい京都観光が開拓されている昨今、役所主導で旅行者観光者を特定の方面に誘導することなど、とてもできないことだ。情報の後追いがせいぜいのところなのだが、これは困ったことばかりではない。むしろ成長産業である印であるのかもしれない。これも以前に書いていたことの繰り返しになるが、観光庁をはじめ官庁自治体は、旅行者観光者が、新しい日本を発見すること、新しい楽しみ方を工夫することを妨げるべきではないように思う。

しかし京都では、現在でも京都市がホテルの誘致に熱心であり、商工会議所の跡地もホテルになるし、(民泊と旅館の中間形態といった)木造ゲストハウスの新築も恐ろしい勢いで増殖しているが、これなども今後つつがなくやってゆけるのだろうか。(2022年、大阪の新今宮に来るという、かの「星野リゾート」なんかも、そのころはどうなんだろう。)

2017/03/16 若井 朝彦
西陣きものショー 2017

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